オペラのリハーサルは順調に進んでいます。初日前の一週間、この時期からの舞台稽古は公演に参加する誰もが特別なエネルギーを発揮しなければなりません。 たった今、創作の現場で浮かんだ気持ちを大急ぎで書きます。
物を作る事、創作する時、常にひとは孤独だとだれかが語ったそんな言葉を聞いた事がありますが、私にとってそれはなんの意味もありません。ダンスの場合、そこにかかわる全員がより良いものを発見して舞台上で表現にまで高めることができる質を常に求めていなければ、作業が成立しないからです。それは、孤独とはかけ離れた作業なのです。
私は舞台上に私的な夢など持ち込まないし、冷静に事実を積み上げる仕事しかしないのです。夢はその時に綿密に積み上げられた作業によって舞台上で表わされるべきものです。現場にはなんの力みも見栄も入り込む余地はなく、自分にとっての、などという中途半端な遠回しの迷いさえあってはなりません。明確な意志と強い問いかけの精神と決断力がなければ何も実現しません。見えなかった形を、視覚だけでなくあらゆる感覚を動員して、ある形に変える事が表現というものです。
見えないものを見えるようにするという単なる置き換えのような事を言っているのではありません。
見えないものはあるべきですし、その見えない世界こそが見えてくる現実を支えているとも考えるのです。
具体的に何がそこで起こっていて、何が起こりうるのか、そこはどんな場所で、どういう空間が事実として息づいているのかを見極めることが重要です。
「事実」、忍耐といってよい現実、虚無とは違った次元の事実がどんなに力をこめても進まないように見える時、私はそれを全身で受け止め、相撲力士のがっぷり四つに組むという五分と五分という状態に押しつつも引かず引きつけながら強引に押しつづける。
耐えるとはそういう事かもしれないのですが、突破したいという欲望だけでは創作の現実は何も動きません。だから夢など見る暇がないほど気を張りつづけているともいえます。しかしその張りつめ方が、体力より精神の働き掛けともいえる充実感が、全身に満たされるのです。