前回書きましたがぼくは現在モントリオールにいます。この街を訪れるのは11年ぶりです。80年代末から90年代末まで大いに盛り上がった「ヌーベルダンス・フェスティバル」に毎回のように参加しました。そのフェスティバルは2年毎に開かれていて、面白い事に観客の投票があり、その年の1位のグループは無条件で再度フェスティバルに招待されるというシステムがありました。ぼくたちKARASは、1989年「石の花」で初登場し、なんとその最高得票を得て「プリ ド パブリック」という賞をいただき2年後にまた参加しました。その時は「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」を上演しましたが、再び同じ賞をもらい、再度招待されることになりました。95年には「NOIJECT」で参加し、なんと3度目の受賞をしました。そして99年には「I was Real-Documents」で参加しました。この作品も大いに受け入れられ評価も高かったのですが、その後はフェスティバル自体が終わりを告げました。
初めて参加した年には、観客賞なるものがあるのも知らず、ただ自分たちのダンスを精一杯やることしか頭にありませんでした。その年のフェスティバルはフランス特集で、読者のみなさんがよく知っているグループや振付家が参加していましたが、ほとんど無名の若いグループが受賞したのが大きな驚きだったようです。自分たちの為に開いたフェスティバルのはずが無名の奴らが来て、軽くさらっと賞を持って行ってしまったわけです。青色に塗った大小100個の石の間をガクガクバタバタと何百回もぶっ倒れつづけ、ステージで自転車を乗り回してはまたそのまま倒れ、ガラスを蹴散らし、揚げ句の果てには大きな石を床に叩き付けるダンサーたちの強烈な動きに度肝をぬかれたようでした。あれがダンスなのかと驚かれたわけです。
95年はベルギー特集で、プログラムにはみなさんご存知の名前がずらっと並んでいました。99年はフランクフルトバレエが参加していました。そのような国家や州などから巨額の援助を得ているヨーロッパの参加者に引けを取らずKARASは堂々と成果を積み上げてきました。
所謂コンテンポラリーダンスの元にはこの「ヌーベルダンス・フェスティバル」の影響があるのかもしれません。ぼくはその当時、欧米で多くのダンス、ダンススタイルを見ました。ですから、ぼくは「自分たちが到底彼らと同じではないし、そういうものたちと同一視してほしくない、されたくない」という強い気持ちがありました。そして常に自覚していた事は、ぼくたちしか出来ない事を実現しようという心意気です。自分たちの存在価値を自ら作り発見するのだという精神です。それは簡単な事ではありません。
当時ぼくたちは、すでにヨーロッパでも高く評価されていましたが、反対に反発のような評価や嫌味の言葉を直接言われた事もありました。初めて参加した時のフランスのある新聞は、「どうせトウキョウのへんな奴ら」と書き、「あんなのはダンスじゃない、君達は踊る必要なんかない」というダンサーもいました。ある時は嫉妬としか思われない言動もありました。ぼくは当時なんて彼らは古臭く保守的なんだと思っていました。しかしそれは初めの頃に限られます。KARASは年を重ねるごとにより深く広く受け入れられるようになりました。そして観客が常にぼくたちについていてくれました。ありがたいことです。歴史がないぼくたちのダンス表現が確実に認知されていくのを実感しました。そしてこの作業はつづけなければいけないと肝に銘じ、常に仲間に話しかけました。「これからだ。これからがぼくらの時代だ」と。モントリオールで勇気を得て、再びヨーロッパへ渡り、思い切り作品を作りつづけました。(もちろん東京でもコンスタントに公演をすることができましたが。)
すこし長くなりましたが、モントリオールがどういうところで、ぼくたちにどんな意味があるのかを書きました。
さて昨夜はこの街での「ミロク」初演でした。終演後は、スタンディングにわれるような拍手、大勢の男たちの大きなかけ声がつづき、盛大なカーテンコールによって初日を終えました。「ミロク」は2006年末に東京で初演し、その後数多くの海外ツアーに出ている作品ですが、昨夜また新たな「ミロク」が生まれたように思います。いつか東京で再演したい気持ちでいっぱいです。