FRAGMENTS 勅使川原三郎ブログ

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2012/05/11 

音楽フェスティバル、ラフォルジュルネの最終日5月5日に、私と佐東利穂子ほか計7人のメンバーは、ロシアのコーラスグループ ヴォックス・クラマンティスと共演したことは前回書きました。今日は追記として舞台上で踊りながら感じたことにふれます。今私がまず思い出すのは、合唱の低音部と高音部の絶妙な調和による全体の響きです。楽器では決して出せないその場でしか響かない肉声の絡み合い、不可思議なほど微かに聴こえる低音の確固たる地平を広げるような長い長い響き、突如として天空に亀裂が入るような高音域の鋭い明快さ、強烈であると同時に、そうです、まさに同時に、沈黙に消え入る繊細な制御、その合唱による響きは私たちダンサーの身体を伸縮させ持ち上げた後、ゆるやかな着地を助けてくれました。この描写は私たちダンサーにとって決して大袈裟ではなく実感なのです。その実感は常に呼吸との関わり合いによって得られるものです。音楽とともに踊るとは、音楽とともに生きると言いかえられます。私は以下のようには決して言いません。ダンスは人生だ、などと口が裂けても絶対に言いません。そういう意味の生きるではないのです。普通の意味での生きる、生活する、いるという意味です。舞台上ではまさに生きるのです。音楽とともに生きるのです。それはイメージでは決してないのです。実際の生、借り物ではない、真似事ではない生、生きる技術、それが私にとっての音楽です。私は音楽家の高度な技術を尊敬します。高度の鍛錬された技術は深い理解を基盤にした的確正確な技です。それは決して機械的な運動のはずがありません。今回私は合唱、声によるその高度な制御、声そのものに感動しました。音楽とはかくも豊かな人間の身体によって生み出されるものなのだということを実感させられたのです。その喜びは舞台上ではダンスへの力となって私たちを助けてくださいました。 

私のダンスメソッドの基本は呼吸です。生きているかぎり、呼吸しない身体はありませんし、音楽と身体の関わり合いにおいて呼吸はとても大事です。誰でも知っているこの事を私たちは毎日学び、学び直し、研究しダンス技術として発展させようとしています。実感ぬきに呼吸する動く身体はありません。つまり意識と呼吸の関係を研究するダンスメソッドです。踊ることは常に呼吸とともにあるわけです。このような基本メソッドが素晴らしい生演奏と出会う時、日々の練習で鍛えられた私たちの身体は大いに喜び、普段以上に活発になります。ダンスとは、か弱く、頼りない、あてのないもの、と私はよくそう思います。それは間違っていないでしょう。実に私たちの身体は不安定で不確かなものかとも思います。人生の中での営み、生業、行為、出合いすれ違い、失敗し悔やみ、すこしいいと調子に乗る、で、つまずく、重くなったり軽くなったりの連続。しかしそんな身体が私は実に面白いと思うのです。それが創作の原点の一つでもあります。音楽が助けてくれる、それを実感した明快な経験を今回の舞台ではすることができました。呼吸、音楽、呼吸、ダンス、すべて生きている身体が成せる技です。この技は、業とも、もしかしたら芸術と言えるのかもしれません。言葉が身体へ、身体から言葉へ、身体が思考へ、思考が身体へ、想像力は身体へ、身体から想像力へ。                                    勅使川原三郎

2012年5月12日 22:36

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2012/05/06

 昨日は音楽フェスティバル ラフォルジュルネに参加しました。今回のフェスティバルのテーマはロシアで、我々はロシアのコーラスグループと共演しました。音楽はロシアの作曲家クレークの「夜の典礼」作曲者不明の讃歌「沈黙の光」そして高名なエストニア人アルヴォペルトの「カノン・ポカヤネン」の合唱曲でした。宗教曲であるこれらの音楽は神々しいハーモニーによって我々ダンサーの全身を包みました。合唱団の歌唱は格別に美しく、そして強烈でもありました。私は宗教の信者ではありません。しかし人間の内面と言えるところ、沈むように深い心の内側には自らの力や人知を超える力を尊重する気持ちはあります。ある作曲家が鎮魂歌を書き、またある作曲家は神を賛美した。そしてすべては祈りであるのだろう。今回のアルヴォペルトの曲は「懺悔」がテーマです。私はそのことについて様々に思考をめぐらしました。ダンスに向けた基礎的な考えを持たなければならないと考えたのです。私の場合、通常はダンスを音楽演奏とともに踊ることは音楽に合わせて踊るわけではありません。信者ではない私が宗教性の強い合唱と共演した今回、私は先ずよく音楽を聴き楽譜を見て、音楽そのものをきちんと受け取れるようになっていなければ身体的な表現はできないと考えました。もっと言えば、その前に曲に向き合う心構えがきちんとしていなければ、到底私たちは音楽によって何かを表現するなどということはありえないのです。そのような基本的な姿勢を私は音楽と接することによって学んできました。歌詞のラテン語を理解できないので訳になっている英語の歌詞を読み内容をすこしでも受け取れるようにしなければなりませんでした。 

照明デザインも私がやるわけですから、照明による音楽理解をダンスとともに表現することにもなります。照明デザインが表わす明度や形、そして変化や維持の時間などは全てが音楽に寄与する為なのです。ダンスがただ先行して成立すればいいという身勝手は有り得ないのです。そして身体的に存在し活き活きとして動きつづける生命としてのダンスは常に光を求めています。それは闇の逆説だと私は考えています。つまり光の分量とは全く同時に闇を表わしつづけている。そういう意味で光と闇の分量を量り、身体的動きが私の意識によって配分されるのです。身体的な動きの配分。まさに音楽へ向かう私が自分の身体に要求する光の配分の的確性をより自覚するならば、我々の光の配分作業は、同時にダンスの練習といえるような気がします。公演は合唱団の声が自然の力そのもののようでした。力量に溢れるコーラス。確立されていた生合唱の音楽的配分と共にあるダンスが確立される為には、音の配分と光の配分の理解が必要不可欠なのです。ダンサーたちはその人それぞれの音と光の配分能力が試され、自覚できない配分作業によって本番での踊り方が怪しげで不可解なものになってはならないのです。 

そして公演において我々は最善を尽くしました。的確な配分によって踊られたダンスは良い出来だったと自画自賛することを私はためらいません。公演内容の詳しくは次回に書きます。

2012年5月 7日 20:00

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4月20日の日記より
今日亀戸スタジオに写真家の坂田栄一郎さんが来られて夏に行なう神奈川芸術劇場での新作のチラシ用の撮影をしました。ポートレイトということで依頼したのですが、坂田さんが撮られた写真は普通のポートレイトを遥かに超える、素晴らしく力強い写真でした。私はカメラの前に全力で立った。両の腕を速く動かし、それによる写真的なブレを利用するという目論見が初めからあったのですが、坂田さんの写真は私の想像や求める映像的固定を圧倒する迫力に満ちたものでした。私は感激した。その驚きと喜びはいままでの撮影経験で味わったことがないものでした。坂田さんの力は人間として正直に生きてきた力であると私は感じた。その実直さと知性は高度に洗練された制作者のもので、生きる喜びに満ちた生命力が写真になっていると感じた。被写体との出会いによる偶発的撮影とは正反対なのではないだろうか。鍛錬によって確立した高度な技術と生まれながらの清らかな魂が合わさった丁寧な手仕事と言って良いのではないかと私はそのような思いを強くした。尊敬すべき正直さ、力まずに最大限に集中した眼球の働きと全身に溢れる力の制御法はまるで私が追求するダンス技術のようでした。それを直に感じ取った私は実に幸せな時間を経験しました。もしこの撮影現場に対して空間という言葉を使えるなら、私は四方八方に広がる広大な空間で坂田さんと限界にまで達した緊張の頂点に対峙、対面、対眼して生命の力の交換をさせていただいと言えるでしょう。撮影後、坂田さんとスタッフの方々をお見送りして撮影場所だったKARASスタジオに戻り、さっきまで充実した時間があった場所を見渡した、すると突然私にはある感情が湧き上がってきた。涙が溢れてとまらなかった。こんな事を書くのは恥ずかしいのですが、感情が抑えられなかったのです。そしてなぜ涙が出るのかわからなかった。感情が落ち着いてきてようやく気がついた。うれしかった、うれしくて涙があふれた。喜び、そして感謝。それらの大きさを自分では収めきれないほどの興奮と言ってもいいほどの感情、うれしさとありがたさ。冷めきらない熱気が今でも私の身体を包んでいます。坂田さんありがとうございました。
2012/4/20

2012年4月30日 22:29

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4月15日まで両国シアターXで「オルガン」を公演していました。ご来場くださった方々には感謝します。計5回の公演は私たちにとってとても有意義なものとなりました。観客の方々にも通常とは別の何かを感じていただいたようでした。前回書きましたパリ公演後、帰国した当日から劇場に出向き稽古が始まりました。劇場の芸術監督である上田氏のご好意により一週間にわたる舞台空間での稽古が可能になりました。日々の全ての試みが実践的で様々な発見がありました。内容が刻々と変化してゆくにつれて分散していたシーンが連携しあい、ある流れを生み出すようになる時、この作業が作品になりうるのだという意識を強くしました。どの作品を創作する時も、稽古始まり時には最終的な形は見えないのが私の常なのですが、入り組んだなぞなぞのような稽古は私にとってはとても豊かな積み重ねでした。ごく薄い皮膜のような一瞬一瞬がしばらくすると厚みのある時間になり、そこにはいままでになかった内容が表れてきます。私はそれを見逃さず、素手でグイとつかみ決して放さないようにきつく握り自分の方へたぐり寄せる。できたシーンは公演を重ねるごとに連結を強め、風変わりで美しい作品になりました。この作品が今後も成長することを願っています。そうなのです、初演した作品は成長していき、生まれたばかりの姿から大きく立派になりえると私は信じています。この前のヨーロッパツアーで上演した「オブセション」は鮮明な成長を果たしたと思います。そしてなによりうれしかったのは、「鏡と音楽」が立派な力強い作品に成長し、仲間の全員がダンサーとして高度な踊りを実現したことです。もちろんそこには佐東利穂子の秀でた存在がありました。出演者であるダンサーは踊る以前に人間として目的に対して毅然と決意した存在でなければなりませんが、私の仲間は日頃の稽古とそれに基づく意志によって成長しているのだと私は誇りに思うのです。これは身内ひいきの大袈裟な言い様と思われないように、私たちの決意はさらに自戒とともに稽古と思考をつづけていく思いでいっぱいです。
5月初旬に例年恒例のラフォルジュルネ音楽祭が開催されます。私は今年も参加させていただくことになりました。音楽祭なのに私の
を特別にプログラムしてくださるのは音楽監督のルネ マルタン氏で、私は大きな感謝を感じつつ、世界の最高峰の演奏家との共演に身が切れる思いでもあります。一昨年がバッハ チェロソロをタチアナ・ヴァシリエヴァさんと、昨年がバッハ パルティータのシャコンヌを庄司紗矢香さんの精魂こもった最高に美しい演奏で踊らせていただきました。その舞台上での超微細振動のきらめきを感じていた身体はその事を今も忘れられません。そして昨年は「月に憑かれたピエロ」もソプラノ歌手のマリアンヌ・プスールさん他、演奏家の方々と共演させていただきました。まさに悪夢が美しく現実になった瞬間に、私と佐東は舞台空間で身体を変形させていました。私たちは奇妙な生物や人間が生息する世界に別種の命を得て哄笑するでぶった月に骨を丸出しにした腕を突き刺し、その月を消えてなくなるまで彫刻したのでした。
そして今年ですが、アルボ ペルト作曲のコーラス曲を踊ります。今回はデュエットではなくてもうすこし人数を増やしてとりくみたいと思います。
                       4月18日        勅使川原三郎  

ラフォルジュルネ公演の詳しい情報は勅使川原三郎公式HPに掲載しています
                        

2012年4月19日 13:08

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読者の皆様、とても長い期間を空けてしまいましたが、久しぶりに書きます。

1年以上報告しませんでしたが、私たちKARASは活動をつづけていました。その間、世界そして日本に様々な事が起き、私も同時に多くの事を感じ、また考えていました。特に昨年の東北大地震の事はまさに筆舌に尽くし難い大惨事でした。私には何もできませんでしたことを含め、弔意と同情をもってご冥福をお祈りしました。読者の方々の中に震災に遭遇されたり、関係の方が被害を受けられたことがおありかもしれません。ここに私はあらためて同じ気持ちをもってお祈りをして、頭を下げてまた書き始めようと思います。

私が、大地震があった事を知ったのは惨事の数時間後でした。ジュネーブの「オブセション」公演後、ホテルに戻った時でした。大きな衝撃でしたが、まだその事実が如何なるものか見当がついていませんでした。その後、オペラ(すでに去年7月エクサンプロバンスで初演した「エイシスとガラテア」)の出演歌手へのワークショップの為に、パリに移動し連日稽古をしていました。稽古以外の時間はTVやネット情報、ユーストリームで早朝も深夜も長時間、知ることができる画像や情報を日本と同時にあるいは時差とともに注目していました。皆様と同様にと勝手に言わせていただければ、その惨事からの衝撃は言語を超えるものでした。毎日の稽古に向かう足取りは日に日に重くなり、徐々に虚しい感覚に襲われるようになり、その自分の弱い虚無感を表に出さないように歌手たちに向かっていました。歌手は皆若く活き活きと私のメソッドをむさぼるように練習し、私はその時の充実感によって、新たな日々の経験をすることができました。こんな事は全く私の個人的な小さな内面で、当地に起こっているとてつもない惨事と同時に記すことすらおこがましいのですが、それが私の感情と行動でした。そして帰国してから本当の惨状を知り、自分の中でしぼんでいく感情と大きくなっていく感情がありました。抽象的ですが、そんな状態が1年前の春でした。

 

私は昨晩パリから帰国しました。今日は晴れて暖かくなりそうです。今回の旅はヨーロッパ各地を廻り、「鏡と音楽」と「オブセション」の公演をしてきました。「鏡と音楽」は大幅に改定し更に力強い作品になったと思います。特に最終公演地パリのシャイヨー劇場での公演の出来は格別でした。大成功と言ってよいと思うのですが、私たちKARASのダンス(作品内容、身体制御と表現など)の充実、高度な成長に大きな賞讃をいただきました。出演者への、特に佐東利穂子への言葉は、現在の世界最高の女性ダンサーとまで語られるほどでした。彼女のダンスは異常と言っていいほど鋭く、身体が空気中に霧散するほど自由に飛び交い、一瞬にして緩やかに静寂し沈黙する。そのように評価する方もいます。それを紹介するのは身内を誉めているのではありません。これが舞台上で起こった事なのです。観客の方々が目撃したダンスは、やはり日々の練習稽古作業の積み重ねから起こりえた事実なのです。

 

帰国して早々ですが、今日から両国シアターXの新作「オルガン」の舞台稽古です。大きな作品ではないのですが、また新たな視点を模索しつつ、小さな積み重ねの始まりです。

去年の事、今回の公演旅行の事なども織り交ぜながら、またすこしずつ書きたいと思います。

これからもよろしくお願いします。


2012年4月 4日 11:41

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新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
読者のみなさんにとって良い年でありますように。
健康でありますように。

去年をとても簡単に振り返りますと、ヴェニスでのパーセルのオペラ「ディドとエネアス」の演出、長期間の「ミロク」アメリカツアー、国内外「オブセッション」公演、ヨーロッパ「鏡と音楽」初公演、映画「A Boy Inside The Boy」のイタリアと日本での撮影、および編集、そして東京で「スキナーズ」の初演。とても充実した日々で、新たな視野が大きく開けました。

「スキナーズ」は私たちの為のみならず、今後のダンスにとって重要な作品である事を自覚しています。
私はダンスは常に大いなる基礎があるべきだと、ダンスを志してからずっと考えつづけてきました。単なる作品づくりがダンスではないという意味です。根源に何がありうるのかという問題です。
古典主義者ではない私は常に新作への思考を積み重ねていますが、日常的にはいかなる基礎を私たちは持ちうるのかを考え、身体的な試みを絶やしません。
手軽さや新しいという言葉が魅惑的に人を誘い、若い世代に手招きをする。惑わされていると気がつかずに精を出す。そういう空疎な動作が流行った時代はいつまで続くのでしょう。きっと今後も絶えないでしょう。私はそういう事を頭ごなしに批判しようとは思いません。なぜなら人間は考えにおいても行動においても自由だから。毒や麻酔薬は時として必要悪と言える。事実私は毒の無いものに魅力は感じません。しかし大事な基礎はそういうものの反対側にあると、私は考えています。
惑わされない強さこそ身につけなければならないのです。強力な基礎的本体があってこそ毒や危険を遊ぶことができる。これが私の芸術的精神です。強力な基礎、毒や麻酔薬、理想、反逆、信じる事、疑う力、、、疑う力無しにどうして美しいものを手に入れられるでしょうか。それは同時に信じる力の事でもあります。信じ、疑い、発見し、感じ、考える。
私たちは、現実を素手で掴む為にダンスをする。ダンスの基礎はなにか。現実から未来へ。現実は当然のことだが、過去を含む。過去を含まない現実は無い。そして私はダンスの事をこのように考える。「ダンスは未来に触れる為にある。その未来とは生命だ。生命には起源がある。」
ダンスの手法がより高次元を目指す精神が求められる。ダンスの基礎から高次の発想を可能にする技術論が求められる。
ダンスを簡単に踊る為には、困難に立ち向かう力が充実して初めて可能になるのです。それは難しく複雑なのです。なぜそうかと言えば、簡単になる為であり、率直になる為であり、実直である為であり、楽しむ為だからです。画一化した今のテレビ放送のような「表現の統制」に囚われない為でもあります。
とても長くなりましたが、「スキナーズ」というダンス作品が良いと思うのは、上記の事柄を実践していているからです。私は生き生きした気持ちで、私たちが行なった行動、つまり公演は、2010年に生まれた大事な生命だと考えます。今年2011年は、そのすでに始まった流れを絶やさず、その先のより良き準備の年にしたいと思っています。
「全ては結果ではなく準備だ。」これも私がずっと長年仲間に伝えてきた事です。
恐れず準備しよう。良い準備が私たちの行動をつなげてくれる。「つなぐ事」。「つなぐ事」がダンスの本質、動きの本質です。
「創作と基礎研究」、この二つは従来通り私たちの年間目標です。
いつものように、「これからこれから」

2011年1月 7日 20:12

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もう朝である。今日ルーアンに移動。
ぼくは自分の身体が何かできるのではないと考えると楽しい。それが単純で面白い。他人の身体のように面白い。他人の身体も自分の身体のようで面白い。それが一番面白いところだ。確かに言葉を上手に駆使できたら面白いだろう。言葉というより語るということ。語りをつくるということ。詩を書くことは世界を作ること?自分を世界から離して言葉によって世界を歪めること、ではないのか?詩人に必要な能力は人を騙す技術だ。それも大勢ではなくて一人の人間を徹底的に騙しまくること。

2010年11月15日 18:03

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カンチェリの曲で踊った。
カンチェリというグルジア人の作曲家の音楽は日本ではあまり耳にしない。ぼくがカンチェリの音楽を初めて知ったのは以前スウェーデンの写真家ヴァンセリウスさんを訪れた時、家の本棚にあったのを見つけて聴いた時だ。全くの偶然で。その後、今から2年くらい前にローマでの文学者との特別パフォーマンスの際に30分のその作品を踊った経験はあるが、いままで他が彼の作品をダンスに使用したというのを聞いたことがない。稀有な存在といえる作曲家である。
今回の新しい経験は、とてもダイナミックで変化に富んだ音楽と共にダンスの勉強になったといえるだろう。勉強と言ってはおかしいかもしれないが、長年やっているぼくのダンスがこれまでに力を蓄積してきたことを確かめることにもなったという意味も含めてだが。
以前カンチェリで踊ったと言っても演奏は録音だった。しかし今回は生演奏だ。100人をこえる人数のオーケストラによる演奏でこの音響的ボリュームは並み大抵ではなかった。3日前から劇場に入り照明を作り、ダンスとしての構成を綿密に確かめた。良い準備ができれば必ず良い舞台になるという確信は今回の公演でも明らかであった。33分の曲の中に強烈な音楽的メッセージが込められている。それをぼくは正面から格闘するように関わった。音楽への尊敬と準備してきた身体が、巨大な時間的エネルギーとぶつかり合い溶け合う大海の高波のような音響に積極的に飲み込まれる。音楽と化した身体と空気が互いのエネルギーの交換によって、それぞれが変容し巨大化し微小化して行く震動は1000をはるかこえる人々で埋め尽くされた広大な客席をすみずみまで細かく震わしていた。ぼくはその実感を大袈裟ではなく冷静に振り返ることができる。オーケストラや観客の人数の多さによってこの音楽やパフォーマンスが凄かったなどと主張したい訳ではない。そんなちっぽけなことではなく、身体と音楽の関わり方が表現いう次元においていかに多くの可能性を持っているかを強烈に感じ取ったという告白なのだ。
精神というと宗教や哲学など面倒な教条的なことと思う人がいまだにいるようだが、人間にとって精神の話ができないようでは生きている何かが足りないとぼくは考える。心理的な自己分析をそのまま表現しているものにぼくはガツンとしたショックを感じないのだ。逆に言うと心理分析には強い喜びがないのだ。作曲家や画家という専門家の仕事でなくとも人間の表現には強い意思が反映されるだろう。ここでぼくはアマチュア、素人の方が純粋で素晴らしいなどと甘いことを言いたいのではない。逆だ。精神は強烈な生命的な物質的存在になりうると実感したぼくの経験を言いたいのだ。つまり今回カンチェリの音楽によって、ぼくは身体が関わり積極的に受け取り表現への可能性という未知なるものを引き受ける精神を感じることができたのだ。それは不思議な感覚ではなく、実に軽やかな、それでいてとても重要なものだと思える。身体的に軽やかな、空間的に巨大なことなのである。
同時に今、ぼくは歴史とは何かをもう一度考えてみようと思う。ユダヤ系ロシア人の指揮者が率いるロシア交響楽団の演奏で旧ソ連から独立しいまだにロシア人への闘争心を隠し持つグルジア人作曲家の音楽で、フランスの北の街で日本人がソロで踊るということ。ぼくはこの公演プログラムに寄せた文章で、歴史的意味を表現するものではないと明言した。ぼくはこの曲が歴史と無関係であるとは書いていない。ただぼくのダンスは歴史的解釈によるものではない、その表現ではないと書いた。そして公演を終えてぼくが感じたものは、土と血の匂いだ。鉄の匂いだ。叫び泣く人々のこだまだ。虚しさよりも強烈な感情であり充満した思いだ。ぼくはそれらを無視する訳にいかない。それはロシアやグルジアの問題にかぎるわけにはいかない。ぼくが目にし、耳にしたことを思うことから先ずは逃げまいと自覚することから始めなければならないと感じた。
新たな一歩。新たな一歩は、どこにでもある。別に月や特別な場所に行かなくてもいいんだ。例えば音楽の中へ一歩踏み出す。ちゃんとグイと踏み出す。踵をついてたっぷり足の裏を時間をかけて踏みしめて指もたっぷり使って重心をかけて、指先をフワッと地面や床から離す。そうすれば、すぐに次のもう一歩が始まっているんだ!

2010年11月15日 17:25

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今、ぼくはニューヨークからバルセロナに移動しようとしています。リンカーンセンターフェスティバルでの「ミロク」三日間の公演を終えたところです。三日ともソールドアウトの盛況で、公演もとても良い出来でした。この「ミロク」という作品はまだまだ成長していきそうです。以前とは違う感覚をこの作品から生み出していると言えるでしょう。舞台では身体感覚のぎりぎり限界で踊っています。それが以前より出来るようになっているのです。自分を精一杯客観的に見るとして身体の自己制御という問題をすこしずつ進めているということなのかもしれません。ダンスが作品を作ったら終わりではなくて、全てはそこから始まり、その先がどこに向かうのかを知っている者はいないのです。どんなに知ったかぶりをしても駄目です。逆だからこそダンスは面白いのです。厳しいのです。感覚が技術を伴って初めて表現になるのですから、他人の目より厳しい自分への客観的視点が高度に観察力を持たなければ到底持続的な表現活動は可能ではありません。この春の北米とヨーロッパツアーは、「ミロク」、「オブセッション」そして「鏡と音楽」の三作品で成立しています。ソロ、デュエット、グループの三種類の出演者構成ですし、舞台構造、装置や音楽も異なるわけですが、出演者の舞台経験の違いも面白いのです。ダンスは常に次のまだ来ていない、来るべき瞬間へ向かう身体と精神の姿勢を問われるとも言えるわけですが、出演者の各個人が厳しく自己を客観視できなければ集団としての作品は構成されません。まだ十代のメンバーもいるKARASの稽古は常にそういう基本の個人の責任を問いかけます。それは指導する為ではなく、各自の自覚的発想、つまり想像力から生まれる客観性こそ大事なのだと問いとも言える課題を常々共有しています。難しく聴こえるかもしれませんが、十代の彼らでも研鑽を積めば理解出ることなのです。なぜなら全ては身体とともにある課題だからです。ダンスはそういう面白くも難しい問いを常に解いていくことなのです。
 
 灼熱の太陽の下、ニューヨークはすこし陽が影ると一挙に涼しく感じるのは東京のような湿気がないせいでしょう。「ミロク」の最終公演を終えると早速劇場の楽屋で、ワールドカップの決勝戦スペイン対オランダの途中経過をチェック。最近はWiFiが様々な所で使える。経過は後半で0-0。夕方の爽やかな空気を縫うように急いでホテルに戻りテレビをつける。その次の瞬間、スペインのイニエスタがゴール!やった?!!!イニエスタは大好きなプレイヤー。最高の技術と判断力、柔軟性と気転が利く、フェアプレーだし、全てが最高なのだ。いわゆる、幼児のような顔でオヤジのようでもある「赤ジさん」なところもとてもいい。そんなイニエスタがゴールを決めた後、ユニフォームを脱いで観客に向かって走った。下に着ていたシャツには去年試合中に死んでしまった友人へ向けて、君はいつもぼくたちと一緒だと書いてあったという。試合中にユニフォームを脱ぐとイエローカードだが、イニエスタは正しい行動をとったことになる。スペインが勝ったのでうれしいのとお腹が空いたので食事に出ると、劇場のすぐ近くのコロンバスサークルの噴水の広場ではすでにスペイン系の大勢の人々が勝利の雄叫あげて盛り上がっている。いろんな方向から増々人数が増えていくようだ。みんな赤いスペインのユニフォームを着て歌を歌い踊っている。いいなあ、さぞやうれしいんだろうな。ワールドカップ優勝なんてたまんないだろう!とぼくもなんとなく興奮して、本田や遠藤のゴールに飛び跳ねていたのを思い出す。ついさっきまで、近くの劇場で「ミロク」を踊っていたのが不思議に感じる。しかし空は再び爽やかに晴れ渡って夕方の空気が気持ちがいいし、最高の決勝戦いや楽日になったのだった。しばらく歩きたい気分になった。

 明日はまさに優勝したスペインへ向かう、それもバルセロナだ。さぞや盛り上がってるだろうと期待。公演するのは「鏡と音楽」で、去年の秋の初演以来で今回がヨーロッパ初演になる。ぼくがニューヨークに来ている間、東京では他のメンバーは暑い稽古場で大量の汗をかいていたことだろう。彼らに会うのも楽しみ、彼らのダンスを見るのも楽しみ、ぼくは佐東利穂子をはじめ彼らにはある意味で厳しいけど、ぼくはみんなのダンスが大好きなのだ。彼らが踊るのを見るのはとても楽しい。常にではないが、彼らの持っている才能を大いに買っている。初めに書いたように各自の自覚に全てはかかっている。FCバルセロナのカンテラという教育機関は十代前半から一貫した練習理念、技術や戦術の教育を行なっている。ワールドカップ優勝の主要メンバーのバルセロナの選手たちは皆このカンテラ出身である。面白い事にその機関の基本理念は、決勝で負けたオランダの元代表選手クライフがつくったと言われている。クライフはオランダからバルセロナに選手として移籍し、その後監督になった。バルセロナでは最高の尊敬とともに信頼されている。彼の知性と精神が世界のサッカーの手本になっているといって過言ではないだろう。
(元々ぼくはサッカーが大好きで、サッカーの事になると話すのも書くのも考えるのも止まらなくなってしまうのでこの辺で終わります。いつか、サッカーの事だけを書いてみたいと思います。今のぼくの考えや発想、そして表現に大きな影響を与えたサッカーはいつまでも魅力的です。ちなみにサッカーに限らずスポーツ全般が好きなのです。限界の厳しいところでぎりぎりに生きる人間が美しいからです。)

2010年7月15日 21:20

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前回書きましたがぼくは現在モントリオールにいます。この街を訪れるのは11年ぶりです。80年代末から90年代末まで大いに盛り上がった「ヌーベルダンス・フェスティバル」に毎回のように参加しました。そのフェスティバルは2年毎に開かれていて、面白い事に観客の投票があり、その年の1位のグループは無条件で再度フェスティバルに招待されるというシステムがありました。ぼくたちKARASは、1989年「石の花」で初登場し、なんとその最高得票を得て「プリ ド パブリック」という賞をいただき2年後にまた参加しました。その時は「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」を上演しましたが、再び同じ賞をもらい、再度招待されることになりました。95年には「NOIJECT」で参加し、なんと3度目の受賞をしました。そして99年には「I was Real-Documents」で参加しました。この作品も大いに受け入れられ評価も高かったのですが、その後はフェスティバル自体が終わりを告げました。
初めて参加した年には、観客賞なるものがあるのも知らず、ただ自分たちのダンスを精一杯やることしか頭にありませんでした。その年のフェスティバルはフランス特集で、読者のみなさんがよく知っているグループや振付家が参加していましたが、ほとんど無名の若いグループが受賞したのが大きな驚きだったようです。自分たちの為に開いたフェスティバルのはずが無名の奴らが来て、軽くさらっと賞を持って行ってしまったわけです。青色に塗った大小100個の石の間をガクガクバタバタと何百回もぶっ倒れつづけ、ステージで自転車を乗り回してはまたそのまま倒れ、ガラスを蹴散らし、揚げ句の果てには大きな石を床に叩き付けるダンサーたちの強烈な動きに度肝をぬかれたようでした。あれがダンスなのかと驚かれたわけです。
95年はベルギー特集で、プログラムにはみなさんご存知の名前がずらっと並んでいました。99年はフランクフルトバレエが参加していました。そのような国家や州などから巨額の援助を得ているヨーロッパの参加者に引けを取らずKARASは堂々と成果を積み上げてきました。
所謂コンテンポラリーダンスの元にはこの「ヌーベルダンス・フェスティバル」の影響があるのかもしれません。ぼくはその当時、欧米で多くのダンス、ダンススタイルを見ました。ですから、ぼくは「自分たちが到底彼らと同じではないし、そういうものたちと同一視してほしくない、されたくない」という強い気持ちがありました。そして常に自覚していた事は、ぼくたちしか出来ない事を実現しようという心意気です。自分たちの存在価値を自ら作り発見するのだという精神です。それは簡単な事ではありません。
当時ぼくたちは、すでにヨーロッパでも高く評価されていましたが、反対に反発のような評価や嫌味の言葉を直接言われた事もありました。初めて参加した時のフランスのある新聞は、「どうせトウキョウのへんな奴ら」と書き、「あんなのはダンスじゃない、君達は踊る必要なんかない」というダンサーもいました。ある時は嫉妬としか思われない言動もありました。ぼくは当時なんて彼らは古臭く保守的なんだと思っていました。しかしそれは初めの頃に限られます。KARASは年を重ねるごとにより深く広く受け入れられるようになりました。そして観客が常にぼくたちについていてくれました。ありがたいことです。歴史がないぼくたちのダンス表現が確実に認知されていくのを実感しました。そしてこの作業はつづけなければいけないと肝に銘じ、常に仲間に話しかけました。「これからだ。これからがぼくらの時代だ」と。モントリオールで勇気を得て、再びヨーロッパへ渡り、思い切り作品を作りつづけました。(もちろん東京でもコンスタントに公演をすることができましたが。)
すこし長くなりましたが、モントリオールがどういうところで、ぼくたちにどんな意味があるのかを書きました。
さて昨夜はこの街での「ミロク」初演でした。終演後は、スタンディングにわれるような拍手、大勢の男たちの大きなかけ声がつづき、盛大なカーテンコールによって初日を終えました。「ミロク」は2006年末に東京で初演し、その後数多くの海外ツアーに出ている作品ですが、昨夜また新たな「ミロク」が生まれたように思います。いつか東京で再演したい気持ちでいっぱいです。

2010年6月17日 15:30

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