FRAGMENTS 勅使川原三郎ブログ

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2013年5月5日、音楽フェスティバル、ラ・フォル・ジュルネに参加。去年につづきロシアの合唱団、ヴォックス・クラマンティスと共演した。素晴らしい声を持つ人々を背にして踊った1時間でした。グレゴリオ聖歌を主軸にしてデュリュフレ、プーランク、マショー、メシアンというフランスの近代、現代の作曲家による神聖なる音楽に導かれて、主にぼくと佐東利穂子、そしてジイフ、鰐川枝里、加藤梨花も踊った。

コンサートで歌われる候補の音楽CDは半年前に受け取り、練習はすこしずつ進めていたのですが、公演当日の舞台で聴く、いや身体全身を包むように、空から舞い降りるように、時として皮膚から蒸発するかのように聴こえてくる声は、まさに天上的でした。このフェスティバルで踊る機会を得ていることは、大きな喜びであるのですが、もちろん簡単ではありません。世界の指折りの演奏家の方々と共演する時、一瞬たりとも気が抜けません。当然のことながら毎回改めて感じ直す、この真剣勝負という場。我々KARASの公演もまさにハイテンションの場ですが、出演の状況や条件が特殊です。

公演当日までのプロセスが全く異なります。このフェスティバルの特徴ですが、何十というプログラムが、いくつもの会場で朝から晩までほぼ同時進行で行なわれていて、とてもタイトなスケジュールの中で運営されています。数時間で照明作りからリハーサルまでを行い、公演当日ほとんどぶっつけ本番です。誰もが走り回るような忙しさで、それが独得な面白さ楽しさではあるわけです。一切の躊躇が許されない張りつめた空気が公演を開始させると、一挙に音楽の世界に深く浸ってダンスが展開する。本当に音楽と身体、曲目とダンスの幸せな出会いです。

2009年初めてこのフェスティバルに参加した時は、ロシアのチェリスト、タチアナさん演奏のバッハのチェロソナタで、2011年がフランスの室内楽団とベルギーの歌手マリアンヌ・プスールさんとシェーンベルクの月に憑かれたピエロ、同日の夜のガラコンサートでは庄司紗矢香さんとバッハのシャコンヌを、去年がヴォックス・クラマンティスの合唱で踊りました。音楽はアルヴォ・ペルトでした。それら一つ一つがとても大事な体験でした。いつかこの素晴らしい出会いについて書きたいです。

音楽への尊敬を共に持つ喜びの場所、それはぼくたちにとっては舞台上なのですが、喜びだけでなく、音楽の素にあるなにか不思議な力、元素、そんなことも考えてしまいます。音楽はこのような魅力、もっと言えば、魔力を生み出し、空気中に流れ、溢れ、身体を満たす。感情を揺さぶり、静める。このフェスティバルの名称、ラ・フォル・ジュルネとは熱狂する日々というらしいですが、ぼくにとってはむしろ静める音楽の力を感じざるをえません。人間が落ち着きなく揺れている時、つまり不安や辛さ、怒りや不満が自分に密着している時、音楽はそれを静めてくれる。ダンスは音楽によって静められ、沈黙から言葉を発見し、絶え間ない動きつづける生命と共にあること、生きていることに感謝する。

その意味は、不安定こそ人間にとって最高の技術として安定を獲得する為にあるのであります。音楽が与えてくれる波、流れ、揺れ動きは生命そのものだと思います。

勅使川原三郎

2013年5月 9日 15:57

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今日、ヴォックス・クラマンティスが歌う合唱曲で軽く踊った。ほんのすこしだけ、そしてぼくの中にある微妙で薄い膜のような生命体が動いていたのを思い出す。音楽とは現実世界ではない身体内の空間を移動する機能に力を与える。すると流れが生じて身体には特別な感覚が広まり、ぼくが感じることが即座に、いや同時に新たな世界を作り始めるのを感じる。流れを生みだす力、それが生命というものではないだろうか。地球自体が生命体であるとするなら、風も水も、いわゆる生物と言われていないものも生命と言えないだろうか。生命の中には生命と呼ばれていないものも含まれているのではないだろうか。

ヴォックス・クラマンティスの合唱との共演は去年のラ・フォル・ジュルネにつづき2度目だ。去年は父が亡くなって一週間ぐらいの出演になったが、父の死への鎮魂歌という受け取り方をぼくは自然にしていたようである。父への思いということを表現しようなどと考えていたわけではないが、死者への弔いの意思が祈りのように含まれていたのは確かでもある。

そして今年の共演では、グレゴリオ聖歌とプーランクやデュリュフレ、それにメシアン作曲の聖歌が前後に歌われる。彼らのとても素晴らしい合唱で、踊ることができるのはありがたい思いでいっぱい。人それぞれの人生には死や誕生が近づいては離れてゆく。ぼくはなんの宗教も信じているわけではないが、人知の届かないことや思いの在りようを尊重する。死への驚きや恐怖、そして感謝を忘れたくない。手が届かないところにあるものへの思いを否定できない。ついすぐそこの、手を伸ばせば届くところにある不足や無念を無視して忘れてはいけない。自分の愚かさやだらしなさこそが自分の顔で、それを見せつけられた他人の顔に自分の表情が映る。

様々な媒体が知らせる嫌な事を嫌だ嫌だと繰り返す自分の筆跡や声の響きが、自分を追い込むのを数えきれないほど経験しているにもかかわらず、またそう考えている自分の声が背中から聞こえる。振り向いては、そいつと喧嘩し格闘しては叩きつぶす。負けはないと強がる勝負。しかしつぶされたのは自分だ、毎回自分が負けている。自分が勝つことには自分を負かさなければならない。他人を負かすよりいいだろうと、今日も自分を黙らせた、自分の中に響く大声によって。だが、本当はそんな事はみんな嘘かもしれない。ぼくは自分に勝っていないし、負けてもいないのか、と怪しくなる。しかし、確かな事は格闘して闘って勝負に出ることだ。ぼくは確かに勝負に出向いている。決して勝負から逃げるような事はしない。それだけは確かだ。なぜなら、ぼくの身体は決して止まることがないからだ。ぼくは動くことを恐れない。無駄に動く事を絶対に恐れない。言葉を発する事を恐れない。沈黙への誘惑に絶対に負けない。無駄して生きる。無駄口叩いて黙ってやる。世間のご機嫌など絶対にとらない。動いて動いて無駄して無駄して、よだれを垂らしてやる。まるで雨のように地面を潤すよだれの栄養で花が咲く。思いもよらぬところに花が咲くのはよだれのせいだ。


香川真司選手、イングランド、プルミエリーグ優勝おめでとうございます。マンチェスターユナイテッドの香川選手は、本当にいいプレイヤーだ。見ていて実に楽しいプレーをする。毎試合最高というわけではないし、ゴール数もちょっともの足りない気はする。しかし、プレーぶりが独得で気が利いている。ぼくが香川選手に思う事はこれだ。気が利いている。どの時代でも、どの分野でも、気が利いているという価値は楽しい、そして美しくもある。香川選手の気の利き方は飛び抜けた才能からの表現でもある。サッカーとはこの気が利いているプレーによって、実に味わいがある楽しいゲームになりうるのだ。気転、即応、、それを可能にするのは飛び抜けて高度な技術が根底になければならないが、それを大袈裟に表わさないほど自然にやってのけるのだ。香川選手にはそういう魅力がある。そこには高速度のゲーム展開の中で可能にするスリルが、常に同時に存在するから目が離せない。ゆったりしたテンポから急激に速度を上げ、また急にほとんど停止するかのような変化。決定的な瞬間はその直後に来る。フットボール(サッカー)は決して止まらない。ハーフタイムはあるが、作戦タイムやプレーを中断する時でも経過する時計を止めない。逆に時間を加算する。決して時間経過を止めないという思想こそが、フットボールの原点である。(バスケットボール、アイススケート、アメラグは時計を止める。つまりこれらのゲームの時間は、ストップウォッチによる厳密な時計の時間で、フットボールの時間はレフリーという人間の任意に任せた大体の時間である。)ぼくはそういう任意、人為的計測に任せるところが面白いと思うのだ。オフサイドの判定もビデオ判断をゲーム中に待つことはない。こういう誰でも知っている事を改めて考える時、どこかぼくがダンスの呼んでいるものと近いと思うのである。

勅使川原三郎


2013年4月27日 17:38

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常に清々しい心で前を向いて行く。
昨日話したことは、全くぼくがずっと生きてきた思いそのものだし、 思っていることだけでは沈んでいってしまうほど、 世の中は「辛い所」だと、充分「ヒリヒリ」と擦れた経験を通って、 理解したから、ある意味で「強靭」別の意味では「狂人」になって、 「次」そして「次」と射程距離を変えながら「動き」つづけている。
それはとても難しいこと。しかしやはり「困難」は面白く、 喜びを喚起する「力」をもっている。 ぼくは「未知の」「事」や「物」や「人々」に対する「恐れ」を感じている。 だからこそ、恐れている「未知」へ勇気をもとうという「挑戦状」を叩きつける。 「紫外線の匂い」を美しいと感じることが絶対的であると、 ぼくが持ちつづける感覚こそ、大事なのだ。
 つまり自分から離れたいいなと思えるもの(感覚)、確かにもっていること、 ことばは身体と共にある、とはじめに書いたが、その先に、 その身体から「離れている大事なもの」を自覚することが、 「詩」になるんじゃないだろうか。 シュルツは「物質」にこだわるが、「匂い」や「雰囲気」を描写する時、 彼の「深いところに降りて行って大事にしているもの」が表わされるのではないか。 その「深いところ」とは、実物としての身体の内部ではなくて、 「感覚の内部」ではないか。 
「季節」を感じるのは、「深い感覚内部」であると。 
「季節」を感じる古来から、そして現代の人々が、 「感覚の内部」に表れるものを掴んだ。 それが「詩」なのだ。 俳句の季語をいれなければいけないという規則を作った理由が、 ここにあるのではないだろうか。 「詩を作る為には季節をもり込め。」 それは、「詩は自分の存在から、自分の身体から離れてこそ、 より実感する明瞭に感得するものと触れられ、深い感覚内部から表れ出る。 それは季節という己から離れた外側にこそ己が反映し反映される対象へ、 光を照射する。それは時としてことばによっての詩を生み出す。
 自然の匂いを吸い込むことは、詩にまだ至らないもの、外界のものを物質的に身体に受け入れること、これも詩の一種ではないだろうか。 光を当てることの単なる逆説ではなく、いかに身体外のものを受け入れるか、 それは身体という境界面の内と外を常に絶え間なく行き交う。 詩が身体を通過する。高速度で、あるいはほとんど停止しながら、 いや停止と共に、停止として通過する。」

勅使川原三郎

2013年2月21日 11:25

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「R」の公演後、すぐに次の作品の準備に入っている。3月4、5日に両国シアターX(カイ)での「春、一夜にして」公演に向けて、思考と試行の繰り返しに日々追われている。いや、出会うべき時間をある著作を手にもって追いかけている。毎日が考える日々で、楽しく複雑な文体を読み解いています。「R」の時の太く頑丈なロープを細かく解きほぐして極細い一本の糸にしたプロセスが、今回はブルーノ・シュルツ著の「砂時計のサナトリウム」の中の短編「春」が解きほぐす対象だ。 

1892年に旧オーストリア領の小都市ドロホビチに生まれたポーランド人の画家であり小説家でもあるユダヤ人芸術家(第2次世界大戦中ナチスによって殺される)が書いた文章世界には、中央ヨーロッパ東部地域がもつ独得の雰囲気が「流れる」。 ぼくはそこに奇妙な狭さの中に息苦しく広がる空間があるのを感じた。「流れる」ものに急激な停止を迫るような香しい匂いを嗅ぐことを避けられなかった。「流れる」ものとは、ある意味では時代性や政治性であり、あの危険な時代が圧倒的に覆い尽くしつつあった中央ヨーロッパにおいて、自虐的マゾヒズムの固執のみならず、微細で繊細な非暴力的な身体性を求めた人間がいたという事をぼくは読みとったのだ。あの地域が有する長い歴史の中の「支配被支配の関係」、「地域」と「覇権」、「政治」と「身体」、どん詰まりの「狭さ」つまり「恐怖」があった。この恐怖とは、「物質的圧力(言い換えれば物質が身体を押し潰す暴力性)」と「心理的虚無感」とが折り重なるものを意味するものか。それら「恐怖の関係性」が、この作家の意識下に半硬直して重く「流れて」いたのではないだろうか。もちろん物語に善悪や幸不幸を描写する為の利用されるものでもなく、むしろサディズムによってつくられる影の陰に隠れる自虐的身体に自己や父親像を重ねていたのではないか。これがこの作家への正しい理解なのか、ぼくには自信があるわけではない。ぼくは誤解者であり理解者ではないであろう。

 しかし、ある短編小説から発想を得て、空間化する身が縮むような魅力的作業を試みるのは、なんという意外であろうか。ぼくはあの時代や地域がもつ歴史や民族性に踏み込んだ表現をすることはできないが、人間がどのように生存しようとしていたのか、時と場が離れた現在に伝わってくるものに、ぼくなりの形を与えることはできると考える。

シュルツへの試みは、今回のみでなく、今後継続的に新たな公演を重ねていきたいとぼくは願っている。   

勅使川原三郎

2013年2月 8日 12:45

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久しぶりのブログになります。長い間のご無沙汰でありました。

ぼくは相変わらず元気であります。

2013年も2月、鬼は外に出て行ったし福はちゃんと入ってきたところです。
去年、秋のヨーロッパツアー帰国直後、「DHA-DAH-SKO-DAH-DAH」の改作を東京芸術劇場で公演しました。これは大事な改作の機会でしたが、作品が復活できたという意味でとてもありがたい公演になりました。公演後、そのニュースを知ったウィーンの劇場が年明け3月に来演してほしいとかなり無理な要望を伝えてきましたが、あまりに急ですが実現するでしょう。これもありがたいことです。公演の機会を与えられるということが我々プロのグループにとってなによりも大事な仕事です。20年も前の作品が復活してすぐに要望してもらえるというのはありがたいことです。

なんとも様々なことがあった一年は、ダイナミックに加速的に過ぎ、慌ただしかった日々のなかで、困難や不可能は稽古や舞台で踊ることによって解消し、そんな経験の厚みは、我々に力強さを加えることになりました。

2013年が明け、先日東京芸術劇場シアターイーストで「ダンサーRの細胞」を初演しました。この公演の準備には多大な努力と協力がありました。それは舞台上ではなく、劇場ロビーに置いた展示でした。インスタレーションとアートっぽい言い方はあまりしたくないのですが、最も力を入れたのが布製の太いロープをほぐして、最小限度の細い糸一本まで細かくする作業でした。これは本当に根気のいる作業で、ダンサーたち全員が毎日寒い稽古場で夜遅くまで極細の一本の糸に辿り着くまでの何千何万という素手での作業でした。この作業自体はとても地味で忍耐強くないとできないものでしたが、ぼくはみんなが良い稽古をしたと思っています。稽古とは身体を動かす練習のみをいうのではありません。具体的に物を扱うことはなによりも良い稽古になるのです。その経験は他の人々と大事な時間を共有することでもありました。卒業生も含めた大学の教え子たちも力を貸してくれ、劇場に入ってからは、劇場スタッフの方々にも手伝っていただきました。みなさん本当にありがとうございました。ダンス公演ですが、こういう目に見えない協力があっての舞台表現でもありました。実際には作品舞台にはなんの装置もなかったわけですが、舞台と反対側には、各客席上にほぐした一本一本の糸が垂れ下げられました。これがとても効果的でした。紗幕と糸とで視界を遮るような効果を作り、それが舞台装置になっていたわけです。

そして舞台で踊る佐東利穂子はやはり特別な存在でした。彼女は舞台の一つ一つで成長している。彼女は上手に踊ることを目的にしていません。そういう価値ではないダンスをぼくと彼女は今、激しく模索しています。今後、いろいろな作品で踊るのが楽しみです。

次回は間をあけずに、すぐに書くようにします。

ではまた。 

勅使川原三郎 


2013年2月 5日 17:48

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深夜、リヒテルのピアノを聴いている。今はモーツァルトのコンチェルト。清々しく若い響きに満たされる。ぼくはやはりモーツァルトが好きだ。リヒテルのモーツァルトには深みと軽やかさが同時にある。言い換えると、重くもあり軽くもある自由自在の喜びが計算による構築を感じさせない自由な幅がある。音楽の喜びそのものが湧き上がる、湧きつづける。ぼくはきっと踊るとしたらやはりモーツァルトが最も好き勝手に踊れるだろう。バッハには敬虔な思いとともに常に客観的な存在に先ずはなろうとするだろう。ああ、なんていう自由なそして悲しい響きだろう。生きる悲しさが溢れる。とめどもない若さが理由でしかない、知り尽くせない生きる力への、喜びの笑いへの悲しみが溢れる。ぼくが最も踊れるだろうと言う理由はここにある。戸惑ってはいられない人間の動きが間違いの方へ深く深く進行しては抜け出せない苦しみへとまっしぐらなのだ。しかし圧倒的に陽光に照らされた表情は明るい。暗さがない事の悲しみよ。ぼくはこの絶対的な不幸から抜け出して身体の中にある闇へと一切の戸惑いをもたずに登って行こう。ピアノの響く身体内部には声を失った少女が笑顔を見せてくれて出迎えてくれるだろう。そして次の瞬間何日かぶりの笑い声を高らかに響かせてくれるだろう。手脚が伸びてきらめく闇がじょじょに光を内部からの光を腕や肩や背中から発するだろう。少女は次の瞬間には身体の闇から飛び出して初冬の肌寒い空気にあごを突き出して踊り始めるだろうね。空気よりも軽い笑い声に乗って友人たちが集まって来る。年末はバッハとモーツァルトでひんやりした空気に乗って踊るのだ。誰にでもできることをやるのだ。だれでも聴こえる音楽を聴いて、だれにでも笑いかける顔を向けて足を踏んでは脱力して深呼吸しては軽やかに時間の中に溶けてゆく。地上に降りては飛び跳ねる。するといつの間にか星がいくつも飛び始める。煙の匂いをからませて、かじかみ始めた指先でリズムをとって指揮者になれば、音楽の方が合わせてくれるのだから簡単なものだ。夜はなおさら明るくしよう、何度でも繰り返していいんだ。楽しい事なら何度でも言っていいし、同じ動きを何度繰り返してもいいんだ。悲しみが嫌にならないように一年中練習してきたぼくたちは知っているはずだ。苦しいのは自分だけじゃないということを踊って勉強したはずだ。下がるべき時には下がり、上がるべき時は上がる。空気は動き。ぼくたちも動き。音楽は内側で響く。外側も内側と今気がついた。外側は内側。平面じゃないから身体を表裏で言えない。だから内側には外側に通じ、そのうち逆転してしまう。時間が生まれるのはそういう場所ではないだろうか。時間はねじれて存在しようとする。人間がそれを平らに計測しようとして失敗の連続だったのだ。ねじれていない時間はない。関節は曲げ伸ばしよりもねじれによってより活かされて有効に働く。

今後の練習テーマは「ねじれ」である。それが「ダンサーRの細胞」に通じ、その先に進める力になるだろう。

勅使川原三郎

2012年12月 1日 11:13

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東京芸術劇場での「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」公演を終えた。この20年以上前に創作した作品が、永い眠りから目を覚ました。ぼくはこの作品の復活は小さな出来事ではないと思っている。過去と現在が作品上で出会い、活き活きと呼吸をしはじめたのだ。初演を超える良い出来であったと言ってくださる方々もいた。今後日本国内や海外での公演が予定されていくだろう。  

永い眠りから覚めた作品と出会ったのは、観客以前に、世代を超えた今のダンサーたちがいた。上演時の出演者で変わらないのはぼくのみだ。ちなみに佐東利穂子がはじめてKARASのダンスを観たのは、この作品の1994年のアートスフィア劇場での公演だった。「NOIJEC-ノイジェクト」を観ようとしたがチケットは売り切れで観られず。連続公演をしていた「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」は朝から当日券を求めて列に並んでようやく観ることができたと彼女は話している。そして公演後、ワークショップに参加し、彼女のダンスキャリアは本格的にスタートしたと以前話してくれた。今回、17年の時を経て、自分がはじめて観て感動した作品に出演することへの思いは、特別に強かったのだ。佐東利穂子は、とても活発でエネルギーに溢れる女性だが、普段は自分の思いを軽々しく口に出すタイプではないので、期するものは大事に心の深いところに秘めていたのだとぼくは思う。謙虚で物静かな性格を基礎にして彼女の存在は虚栄のない自然な姿のままである。そして稽古場での強烈なリハーサルを経て、舞台上では一挙に彼女は変身する。どちらかというと無言実行。だから本当に実のある言葉がでる。

夏、「鏡と音楽」の海外公演、帰国後から「呼吸-透明の力」を制作、発表し、つづく秋の長いヨーロッパ公演(「オブセッション」「鏡と音楽」「ミロク」3作品上演)で大きな成果を上げた後、「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」の稽古に入った。新作を作るような雰囲気に毎日が緊迫していた。厳しい時間がすぎた。稽古は厳しい。なぜなら現実との闘いでもあるからだ。

充実した稽古の日々が積み上げられ、見えなかった姿が見えてくる。我々には約束された到達すべき土地はない。我々には用意された道などなく、それはこつこつ踏み固めて自分たちで作るものだ。整備され舗装された道はなく、足場の悪く、ごつい石がころがり、時には雑草や薮が茂ったところを進まなければならない。どのように?自分たちの足で踏みしめて全身でかき分けて、毎日一歩、そして一歩、こんなにゆっくりしか進めないのかとみんながつらくなることもある。それでも一日に一歩、時に半歩も行けない。だが決して後ずさりしてはならないと決意が堅い。柔軟な身体に固い決意。気を抜くと出し抜かれる。どの作品でも同じだ。「呼吸-透明の力」の時は楽だったか?と思い返すが、そんなことはない。いつも一歩一歩だった。だからこそ、一歩一歩を確実に踏みつづければ、成果は必ずやってくるのだ。雑草や薮はじょじょにならされてきて、荒い石は地面に踏みつけられて地面は次第に平らになっていく。薄っぺらな平らではない。しっかりとした土台としての地面だ。どんなことでも耐えられる地面を作るのだ。それが稽古だ。毎日がそれを作らせてくれる。それが稽古場というもので、床というものだ。ぼくはいつも言っている。床は元々ここに用意してあったと思ってはいけないと話す。床は自分たちで稽古して作るものだ。立つことを稽古して、立つべき床を作るのだ。一人でやるのではなく、他人の力が必要なのだ。進むべき道も踏んで固めてひとが歩きやすくするのだ。どんな稽古をするかによって、どんな床ができるか決まるのだ。作品はそんな稽古場での問いかけがなければ作れない。良い準備がすこしずつ作品を作らせていく。必然、あるべくしてある、なるべくしてなる、それを見つける時間が必要だ。そしてその時間も作るのだ。時間も他人が、あるいは自然が与えてくれるのではないとぼくは考える。時間には限りがある、物理的には限界はある。しかし如何に使うか、如何に感じるかによって、時間の長さ、尺度は変えられるのだ。足りなければ、どうやって時間を割り振るのか考え、時間を質的な尺度に変えるのだ。与えるものとして手をこまねいて待っていてはだめだ。間に合わない。決して間に合わずに手遅れになる。それを知ったなら、ぼくは決して時間に対して消極的ではいられない。時間に働きかけ、時間を作るのだ。特にダンスの作業は時間との闘い、いや時間との共同作業だ。時間を味方に付けなければ何もできない。音楽もそうだろう。建築もそうだろう。物質と生命と時間の関係に興味がある。そうして稽古場には新たな時間が生まれ、道ができる。つまり稽古は進み、作品の構造が組み立てられる。しかし本当の困難はこれからだ。次回はこの先を書きたい。

勅使川原三郎

2012年12月 1日 11:06

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映画「地下鉄のザジ」のシーンがクルクルと夢の中で回転、変な名前の監督はオランダ人だったっけ、(夢から覚めて頭がはっきりすれば、監督はフランス人のジャック タチであることはわかっている)とか自問自答しつづける夢を見ていて、はたと、明け方、目が覚めてトイレへ、その後眠れず、考えはじめる。

球体の作り方について、中心から作る場合と周りから作られる場合の可能性をいろいろ考えていて起きてしまった。半径が規定された回転角度の無限変化と物質の特性による中心への球的集中、ハンマー投げのように紐がついた重りがあるものを円運動させ無限の角度変化を加える球運動、水しぶきの水玉は球体、おにぎりの作り方、スポーツのボールのデザイン、サッカーボールやバレーボール、野球のボールの作り方の違い、地球はきっと外側からの圧力によってできたのだろう、宇宙にはきっと球体作りのエネルギーに溢れているのではないだろうか。宇宙とは集中する力と拡散する力によるエネルギー変化の磁場に溢れているのではないか。引きつける力と引き離す力による運動とはまさにダンスの力学なのである。その2つの力関係なしに円運動は有り得ない。身体の構造、関節の仕組みにはいかに限界をもった関節の働きによって、より多くの種類の運動を引き起こせるかを実験させる構造が隠されている。関節が動かされる筋や筋肉と神経系の関係は、いかにも複雑そうだが、ぼくにはどうも決定的なセオリーというか必然性があるように思う。必然性という語の使い方には物理学的必然性という意味があって、身体的な物理学というものが、理論的に見出されるべきだろうと思ってきた。舞踊物理学とぼくが言いつづけてきた考えである。これをぼく以外のダンスに適応される考えとして確立しようと思ったことはないが、当然有効な見知である事は間違いないだろう。しかしぼくはその事にほとんど興味が無い。なぜなら通常ダンスを理論化する者たちには、演出効果の為のダンスの動きを設定してかかっていて、純粋に身体の動きへの興味が薄い歴史のうえにあるからだ。その逆に試みた身体運動研究を極め尽くしたかのような言説によって自己保護する態度が見られる場合、ぼくはそれへの興味を失う。共同研究は不可能である。動きにはどのように動き始め、どのように動きつづける、動きつづかせようとするか、、、のように動きのもとと動きの先を思考する連動性が基礎的に求められる。逆に言えば、動きとは何かという疑問にいかに答えるかである。動きには質感があるという事がぼくが長年感じ、そして考えつづけて来た事だ。質感こそが動きの内部にあるものであるとぼくは強く考える。特に人体における身体の動きが発生させる質感には独得の内容がある。それは演技する身体では決して得られない。不可能なほど無限大に増幅する動きの次元を開発できると考えられるのである。ぼくが考えるダンスがいかに広汎なものであるか。儀式やパフォーマンスとしてのダンスではないダンスを研究する事はぼくに最大の喜びを与えてくれるのである。確かに三次元、四次元、、という次元という分類がある方法論を見出すのに役立ったときがあったであろうが、その形式ではぼくが考える身体の動きは理解できないだろう。次元という科学ではないものが身体の動きの研究には必要なのだと思う。宇宙も同様だろう。ぼくは自分の様々な表現の基礎に、今後ますます身体、動き、科学、生命、宇宙について研究していく。  

勅使川原三郎

2012年11月30日 19:47

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朝から雨、フランス第2の都市リヨン(マルセイユ人は自分たちこそ2番目と主張しているが)、「鏡と音楽」3日目、ぼくは今この公演について書こうとしている。

「鏡と音楽」という作品は、計11の場面から構成されていて出演者は7人、上演時間は1時間15分。

 ぼくの作品の特徴は、我々のメソッドがそうであるように、形式的に振付を踊ることが主眼になく、瞬間瞬間に自らの工夫によってすべてが決定されるような作り方を基礎にしている。もちろん作品構成と展開は厳密に設定されていて、それを外すことは許されないのだが。

 昨日の公演での各自の踊り方は、究めて明解に動きを追求した良いダンスだった。各場面が活き活きと生み出され、湧き出てくる流れが次の流れを生み、一人一人の身体の輪郭がくっきりした動きとなってダンスになるのだ。質が向上していることがわかる。舞台上での激しい行き来、高速度の滑走、静けさへの展開などが的確なタイミングで実行されている。各自の最大限のダンスへの試みは体力的な強度と柔軟性を素とし、音楽との調和を基調としているが、同時に身体全身がダイナミックに空間移動しグループとしての力が発揮されなければならない。それが明解に表れる時に場面として成立する。

また、聴こえるものと存在するもの(移動するもの)が共存するということ。ある時はノイズ、騒音に聴こえるノイズが、音楽になる。身体との関わり方によって変容するのだ。バロック音楽は、ダイナミックに身体を揺れ動かし、活き活きとした大きなうねりを生み出す。

とめどもなく発生する時間、ダンサーが生み出す時間。それらは身体的な葛藤の中に起こる。弛める身体、逆に体力的限界点でのコントロールが求められる。例えばスタミナとは必ずしも長時間での耐久性ではない。短時間でもスタミナは要求される。

別の局面では、「構成されない明解な瞬間を生む」希有なダンサーが現れる。佐東利穂子のあらゆる身体表面では、小爆発が高速度で繰り返される。それが他の身体に転位する。しかしダンサーそれぞれの身体には個別の質感があり、すこしずつズレる時間を生み出す。そこに公演の本当のスリルがある。全ては再生、再現ではない。その時のタイミングによって生み出される新たな時間的質感、新たな生命の流れだ。パフォーマンスが生み出されることを体験しつづけることがダンスになる。なされた動きが随時過去に残るのではなく、なされた動きは消えつづけ、それが軽やかに次の動きを生む。反対に重厚な質感が現れる。出現する時間、動きが時間の前と先を行き交う感覚がある。それがぼくにとってのダンスだ。ある場面で、ぼくの10分ほどのソロパートがあるが、そこでぼくは時間を生み、そこに乗り、また時間を作り替え、身体と時間とを遊ばせる。身体には固有の、その時にしかないという意味の固有の時間があって、それを正確に把握していないとその場面は成り立たない。それはとても軽やかで、息がつまるほどの圧力がはたらく。延長と短縮、凝固と溶解、身体が変化しつづける時間とからむ、身体が変容する、溶ける、ぼくは身体をそういうふうに遊ばせる、身体がぼくをつかまえては放り出す。時間に浮かぶ、空気におぼれる、呼吸が翼になり、ぼくは微かな自由を得る。勝手気ままに踊っている感じはない。ぼくには常に助けが必要で、その助けが呼吸だ。時間に縛られる時、ぼくは呼吸に助けられ、身体の重さによって空気に浮かばされ、ぼくは動きという音楽を聴く。空気と調和する呼吸という音楽、それがぼくを助けてくれる。そしてぼくは決意という感覚を得る。それはある種の感情で、強く明解な感情である。これをダンス以外で得ることはない。身体的感情だ。

公演は場面を変容させながら次から次へと流れとして進み、最後の長いジャンプのシーンになる。ノイズからメシアン、そしてバッハへ。延々とつづくジャンプ。ダンサーが一列に前後しながらジャンプしつづける。一人一人去り、消えてゆき、佐東利穂子と鰐川枝里が残る。ラストはダンサーたちの顔だけが光り宙に浮き、そして消える。暗転。観客がはじめからとても集中していて、我々が送り出すダンスを吸い込んで吸収している感覚になった。それほど積極的な観客だった。これはとてもうれしいことです。いい。ラストの暗転、静けさの波、微かな拍手、それがじょじょに大きくなり、手拍子になり、大きな歓声が鳴り止まず(男が多い)、何度も何度も繰り返される、呼び出され、劇場がひとつになる。こういう安易にきこえる表現はしたくないのだが。実際人々は個別に声を出し、大きな手拍子で賛辞をくれるのだ。劇場が大きく膨れ上がったようだった。

終演後、テクニシャンたちと挨拶をして荷物をまとめて外に出る。朝からの雨はまだつづいていて、吹きつける無数の冷たい粒が坊主頭にはじけて気持ちよかった。

 勅使川原三郎

2012年10月29日 16:51

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リヨン「鏡と音楽」2日目は初日よりさらに良い公演になった。観客は盛大に拍手と声をかけてくれた。今日の公演は本当に良かったと思う。全員が最高のダンスをしたと言っていい。公演後、劇場の制作スタッフが、我々はこのような観客が私たちの劇場の観客であることを誇りに思うと言っていた。つまり観客が「鏡と音楽」に対して強く感じて賛辞を送ったことがうれしいということで、それはぼくたちKARASへの最大限の賛辞である。関わったスタッフが喜んでくれるというのが、この仕事をしていてとてもうれしいことである。彼らは、1年中劇場関係のあらゆる公演を見たり関わってきていて、過去と現状のほぼすべての上演演目を知っている。そういう彼らが自分たちの劇場を観客も含めて客観的に判断しようとしていることがいいと思った。作品内容から準備までぼくたちがやっていることのほとんどすべてを劇場運営、製作、技術スタッフは知っているし見ている。そういう立場からの見方や評価というものは大切にすべきだ。つまらない表面的な公演だったら彼らは無視するだろう。おべっかを使う間柄ではないから正直な反応しかしないのだ。つまらなかったら二度と呼ばれない。それだけだ。ぼくは1986年から26~7年に渡って、それを感じつづけてきた。初めてのバニョレコンクールで、ぼくが作品を踊った直後のテクニシャンたちの反応をよく覚えている。全く初めての海外パフォーマンスの後、彼らとトイレや廊下ですれ違った時、君達が一番いいよ、とても良かった、絶対に優勝するぞと言ってくれた。結果は2位だったけど、そんなの別にいいやって思ったのを覚えている。分かる人がいるんだ、ああいうふうに直接声をかけてくれるんだ、いいもんだなっと思った。大袈裟じゃなくて、まるで昨日のように覚えている。それほどうれしかった。ぼくは感じた。ぼくは技術者を尊重する。その人が感じる人かどうかである。経験がある技術者だからいいと言うのではない。感じる人間に伝わること、その結果、舞台上で新たな世界が築けるのだ。つまらないものを無理にいいなどと言う必要なんかあるわけない。だからぼくは劇場テクニシャンの反応を尊重するのだ。

悪い意味ではないが、日本の技術者は違う。彼らは決して自分が感じたことを言わない。日本にはそういう風習があるのだろう。少なからずなんらかの溝が出演者と技術者の間にあるようだ。それが日本的な流儀ということなのかもしれないが。

欧米では普通ぼくは終演後必ず舞台スタッフに感謝を直接伝える。大抵は一人一人握手して感謝を言う。当たり前のことだ。すると彼らは必ずそれまでの仕事の厳しい顔が急に変わって、いい笑顔で、いやいやこっちこそありがとう、素晴らしかったよと返してくれるのだ。そういう時こそ充実した気持ちになる。舞台スタッフとの達成した気持ちの交換は実にうれしい。本当にありがたいと思う。幕の裏では常に緊張がつづいているのだが、それがほどける時のなんとも言えない充実感は他に例がない。そう、この充実感は一般的な域をはるかに超えている。

このことについて、新しく参加している加藤梨花が言ったそうだ、KARASに参加する以前、自分が客席から公演を見て強く感じることはあったが、実際にその後KARASの公演に出演した舞台上は全く違う状況で、舞台から舞台袖の中はまるでサッカーの試合のようだ、と。そうなのだ、戦いなのだ。

一瞬一瞬が全て闘いだ。すこしでも気を抜けば、とらえなければならない瞬間を逃してしまう。それは危険なほど身体的に物理的に際どい一瞬に身をさらして、ぶつけているのだ。舞台袖に勢いつけて飛び込み、ぶっ倒れそうだが踏ん張って立ち、次の瞬間には強烈な勢いで舞台に突っ込んで行く。それが何十分もつづく。これが、KARASがやりつづけてきた舞台だ。気を抜くな!やられるぞ!隙をつくるな!やられるぞ!舞台を甘く見るな!気を抜くな!やられるぞ!お前がやられたら、他もやられるだろ!気を抜くな!初めから終わりまで!もし逃したら即、誰かが助けろ!奴にはできないなら他がやるんだ!他が助けなきゃいけない!自分だけが生き残ると思った瞬間にお前はやられる!公演の為に最善を尽くせ!個人の為じゃない!最高の最高の最高の気合いでやるんだ!準備が必要なんだ!毎日が準備、冷静に準備をつづけることだ!

ぼくは、舞台はそういう場所だと考えている、創作を始めた頃、稽古場で舞台表現というのは闘い、戦いだということを理解した。強烈に、そして冷静に、確かに感じた。それ以来ぼくは決して気を抜くことはない。つまり初めからぼくにとって舞台とは気を抜くところではない。でも公演直前、1分前だけは違う。その時だけは、冗談をいい、いい加減なことをしゃべっている。きっとそれが脱力になって、あとは急激に集中するのだ。しかし、あらゆる事故、不測の事態に冷静に備えるのは、ぼくの最大の責任だと自覚している。舞台上で起こる全てはぼくの責任であると考えている。責任の所在は常に明確にして、思い切り力を発揮するのだ。KARASの身体の使い方には躊躇が無い。生きる最善を、もし舞台上で発揮できるなら、それを表現というものにしたい。これが、ぼくがもちつづけている精神だ。だれからも教わっていない。自分がどんなにダメな奴でも、もしぼくに最善を発揮してもいい場所があるならやらせてください。それが、ぼくが舞台表現をしようと思った時に感じたことで、願わくば、ここにいることが許されるなら、自分なりの努力というものをさせてください。ぼくは舞台というところを自分の家のように親しみ過ぎずに、他人の家のようによそよそしくなく、路地や空き地のような誰が所有しているというのではない自由にいろんな人が行き交うところであると思っている。ぼくたちはいっとき場所を借り、好きに使って、終わったら、さよならを言って、また他の空き地に移動する。知らない人に会い、挨拶をして、何かを分かち合い、健闘を称え合い、幸運を祈り合う。 

明日「鏡と音楽」をもう一公演して、次はワルシャワに移動する。  

勅使川原三郎

2012年10月26日 20:12

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