『失われた線を求めて』
いよいよ10/3より開幕

公演に際し、勅使川原三郎のドローイングについて寄せられたテキストをご紹介します。
皆さまのご来場を心よりお待ちしています。
 
  

素描(ドローイング)という起点     水沢 勉氏 美術評論家、神奈川近代美術館 館長
  
 いまから30年以上の時を遡る。その頃の勅使川原三郎の存在感を際だたせた出版物として『青い隕石』(求龍堂、1989年)が知られている。同書をはじめて手にしたとき、モノクロームのドローイングが複数紹介されていて心底驚かされた(pp.28-34)。そして出版記念パーティ会場にはそのオリジナルが並んでいた。素描家としての才能のきらめきを直に確かめることができた。
 美術に関心の深かった勅使川原三郎にとって素描は早くから身についていた表現方法のひとつであったはずだ。当時、ダンサーとしてのデビューの衝撃波が残っていたこともあって、同書掲載の詩的断片群の喚起力と相俟ってなんと豊かな才能の持主であるかとしばしオリジナルを前に息を呑んだ。
 しかし、その後、勅使川原三郎の表現者としての歩みを辿っていくと、画家としての側面は付加されたエピソード的なものではなく、その本質に深くかかわっていることがはっきりした。多才の一端、ではなく、むしろ、その核心ではないかと思えてきたのだ。
 その創作の熱量は下がる気配がまったくない。荻窪にある「カラス アパラタス」の壁面には、無数の素描が途切れることなく発表され続けている。
 
 ドローイングは素すの状態の描画である。まさに引く(draw)線を主体とする素画。
 
 そこに表現者・勅使川原三郎のすべてが起点として宿っている。それは舞台面の光の効果に結びつくと同時に、その構成も暗示する。さらにはそこに展開する物語をも超現実主義的空間に孕むこともある。そして、それを描く指と手と腕などの身体と頭脳とが閃光のように直結する。つまり素画は、身体表現=ダンスのエッセンスというべき素型なのだ。
 
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drawing by Saburo Teshigawara

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