Works / 活動紹介

風の又三郎

〈愛知県芸術劇場ファミリー・プログラム2021〉
勅使川原三郎が芸術監督を務める愛知県芸術劇場にて、オーディションで集まった地元東海圏のバレエダンサーと共に初めて取り組むダンス公演です。
 
 
演出. 振付 / 美術 / 衣装 / 照明デザイン / 音楽編集:勅使川原三郎
アーティスティック コラボレーター / ダンス / 朗読:佐東利穂子
 
出演:オーディションダンサー(赤木萌絵、石黒優美、石橋智子、菰田いづみ、佐藤静佳、澤村結愛、松川果歩、宮本咲里、横山礼華、吉田美生、渡邉菫)
 
舞台監督 立川好治(ニケステージワークス)
舞台監督助手 髙梨智恵美(ニケステージワークス)、峯健*、鷹見茜里*
照明技術 清水裕樹(ハロ)
音響 三森啓弘(エスアールテックプランニング)
映像技術 稲垣卓(金井大道具名古屋JV)
衣装製作 武田園子(veronique)
劇場舞台技術 世古口善徳*
制作 上林元子*
* 愛知県芸術劇場
 
 
主催・製作・企画製作 愛知県芸術劇場
助成 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
   独立行政法人日本芸術文化振興会
後援 愛知県教育委員会 名古屋教育委員会 愛知県私学協会
   (公社)愛知県私立幼稚園連盟 (一社)愛知県私立保育園連盟
   (公社)名古屋市私立幼稚園協会 (公社)名古屋民間保育園連盟
原作から創作に向かって
 
宮沢賢治は、詩や小説を数多くかきました。
その数は数えられないとも言えるのではないでしょうか。
詩や物語のそれぞれを何度も書き直していて、未完成なものが多くあるからです。
そして、未完成なものは互いに影響し合っていて、山脈やいくつもの丘、
そして、川の流れのように、次から次へと連なっていて、まるで音と音が
共鳴するように大きな交響曲を作っているようです。
夏の終わりから秋へ、何かが違う季節=新しい秋がやってきました。
そこから物語が始まるのです。
転校生の三郎は、季節が運んできた見知らぬ不思議な風の精霊のように
地元の子供達の前に姿を現しますが、ほんの十日ほどで去ってしまいます。
それはまさに、季節の終わりに吹いてくる風のようで
あり、新しい季節の到来を告げるようです。
風の又三郎と呼ばれた少年は、地元の子供たちに不安とともに新たな季節
の到来を予感させます。わたしはこの原作である「風の又三郎」を、
期待すべき、子供たちの新たな成長を促す詩的な物語として読みました。
私にとって、ダンスもそのように何か新たな期待をこめて作り、踊るものでありたいと
思っています。
 
勅使川原三郎
ダンス 風の又三郎 
 
以前から私は宮沢賢治原作で誰が見ても面白い踊りの作品を作りたいと思っていました。
バレエもダンスで踊りですね。宮沢賢治の詩や物語の中には数々のダンスが登場します。
吹き飛ばされながら風に向かって走り、
心がふるえる恐ろしさや静けさを取り戻し安心した後、
生き生きと飛び跳ね、大きく強くそして細やかに、自然と人間たちが踊ります。
新学期の初めの日に転校生の少年が
誰よりも早く教室に座っているところから物語は始まります。
見知らぬ少年がはこんでくる風とともに
谷間の小さな小学校の子供たちのたちの夏は終わります。
風の少年が去り、新たな風がすでに吹いている。
 
勅使川原三郎
ギャラリー
レビュー(抜粋)
愛知県芸術文化センター 情報誌AAC vol.110(2021年12月)
「束の間の体験が忘れられない記憶となる」小島祐未子氏(編集者・ライター)
(前略)勅使川原といえば洗練されたシャープでスピード感のある振付を思い出すが、ダンス『風の又三郎』は原作冒頭の一節「どっどど どどうど どどうど どどう」に合わせて足を踏み鳴らすアンサンブルで始まり、土着的な空気にまず驚かされる。一方、子どもが笑った様子を表す振付はユーモラスかつキュート。勅使川原作品を観て「カワイイ」なんて思ったのは初めてだ。鑑賞した子どもたちもきっと、ダンス表現の豊かさに刺激を受けたはず。
 また、アーティスティック・コラボレーターとダンサーを兼任した佐東利穂子が原作の朗読でも活躍。それは場面の説明というより音楽のように舞台上に流れ、どこか幼い声質やフラットな語り口が物語によく合っていた。さらに佐東は、若手と二人一役で又三郎とおぼしきキャラクターを担当。主人公の少年「三郎」は転校初日から同級生に「又三郎」と呼ばれ、風の神の化身であることがほのめかされる。そんな又三郎の異界の者という側面を佐東は時に激しい動きで表し、人間界と対照を為した。
 なお、勅使川原は美術や照明のデザインも手掛け、不思議な校舎や自然の風景を光と影で表現。無国籍風の衣装にはなぜか懐かしさも覚えた。やがて、椅子の上に立った又三郎の美しいシルエットで終幕。その姿が本当に飛んで行ったようで、切なくもあり清々しくもあった。