Works / 活動紹介

鏡と音楽

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演出/振付/美術/照明/衣装/選曲:勅使川原三郎

出演:勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里、加藤梨花、川村美恵
 他
上演時間:75分

初演:2009年9月25日 新国立劇場

主催:新国立劇場

公演記録:
2010年バルセロナ(西)

     2011年グルノーブル(仏)、ロンドン(英)、ナント(仏)

     2012年アムステルダム(蘭)、デュッセルドルフ(独)、パリ(仏)、
         エルサレム(以)、ベルリン(独)、ブレシア(伊)、リヨン(仏)

     2013年台北(台)、ワシントン(米)
     2014年ドレスデン(独)、マルセイユ(仏)
     2015年パリ(仏)
     2016年セビリア(西)、アネシー(仏)
空きっ腹のように晴れわたった青空

鏡に過去は映らない

鏡の表面に何もない

見えるが何も無い

音楽や…

鏡は世界を倍にする

鏡の裏側で世界が既に割れている

鏡の裏側には隠されている人々

光の屈折率 いや溶解度

身体と音楽 呼吸音楽という流れ

数は無限に倍加すれば全てに溶け合い姿を消す

夜 太陽は焦ついた影の匂い 呼吸せよ

空きっ腹のように晴れ渡った青空

無数の呼吸が飛び交う

電波を避けた飛行者

湿度の詩 生命体

朝…
ー勅使川原三郎

公演パンフレットより
稽古断章「鏡が音楽に映る」遠く望む星AT氏へ
作品について
by 勅使川原三郎
道端、ふと犬とぼくの眼が合う。
数秒間合わせた視線はどちらからともなく軽くはずして、別々の方角に歩きはじめた-------、
ぼくは、その数秒の「瞬間」を「無限の3秒間」として記憶している。
無限性、身体がもつそれは座禅によって得られるという方法をぼくはとらない。
むしろ身体を動かし、その動きの中に感じ取る。
いや、それだけでは不充分で、偶然に犬と合わせた眼のように、微かな気配のごとく動く物と奇跡的に「一致する時」を共有する事で感じられるように思われる。
音楽がぼくに与えてくれて、ぼくがそれを受け取リたく思うのは、いつまでもつづいてほしいという願いがあるからだ。とどまらずに広がりつづける、時間の枠をもつ音楽に感じる時間のゆるやかな解放である。その密やかな願いは、決しておおらかなものとは言えず、激しい、生命の必死な葛藤が生み出すものであって、息苦しいほど辛い解放なのかもしれない。
それでもぼくは身体がもつ痛みと心地よさを現実のものとして、表現へ立ち向かえるのだ。
なぜならここに気持ちと考えと行動を共にしてくれる仲間がいるからだ。彼らの献身が地平線で、飛び立とうとする挑戦が太陽だ。感謝の言葉に代え、ぼくの激しく困難な要求が延々とつづく日々。喜び。ぼくらは様々な事実によって気づかされ、考え、無限への企みを隠さず、ある時は毒づき、ある時は酸素欠乏直後、爆発する笑顔を「また明日」という言葉に変えて稽古場から這い出る。
湧き立つ日々、沸騰したぼくらの夏、そして危機や亀裂から漏れる、いや溢れ出る大いなる喜びの秋。
ぼくらの秋。微かな風にゆれる草、それとも音楽。
ギャラリー
レビュー(抜粋)
「魔術的な映像」
エル・ムンド紙 2010/7/22
「鏡と音楽」は、鏡の中に音楽をどのように映し出すかということを探求した作品だ。そして、この作品は実験的であるにもかかわらず、繊細さと力と強度、そして激しさによって私たちを触れられないものへと近づかせ、現実を超えた崇高な世界へと導いた。
勅使川原の荘厳なソロでは、彼の身体の動きは無数の形態と方向をあらゆる可能な力学へと解体される。彼の動きは常に対立したムーブメントが体に連なっていくため、果たして彼は本当に一人で踊っているのだろうか、という疑問さえ抱かせる。彼は自身の身体の音楽を踊っているのだ。
美しさと比類のない洗練にあふれたバロック音楽のシーンは、この作品のクライマックスである。ダンサーたちはみな素晴らしく、様々な軌道を描いて軽やかに素速く入れかわり立ちかわり舞台に登場する。彼らの動きは猛烈な勢いで流動していくためイメージに留めることはできないが、私たちはそこに生命力にあふれた並外れた音楽を感じることができるのだ。この作品はダンスを超えた、素晴らしく高度な知覚的体験であった。最大級の賛辞を捧げたい。
「絶え間のない反影」
ラ・ヴァンガーディア紙 2010/7/20 ホアキーム・ノグエロ氏
この作品では脅迫的な電子音響が、その気配の高まりの中で静謐さを強調し、崇高さや美と結合する。「鏡と音楽」という舞台は、相反するものを捉えている。身体は音楽への回路の中でシンプルな軌跡を描き出す。それは音楽を最も忠実に映し出す鏡なのだ。
「幾度も蘇る衝撃」
エル・パイス紙 2010/7/19 カルメン・デル・ヴァル氏
魔術のように魅了し、美しく想像をかきたてる。彼らの身体は、何もない舞台の上に現れては消える。多様に変化するダンスは魅惑的な鏡の効果のように繰り返され、我々は心を奪われる。純粋で装飾を取り払った身振りは、断続的な照明によって現れては消える。激烈でありながらも繊細さにあふれ、素直でしかも崇高な身体芸術に、観客は感極まる想いで拍手を送った。