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2017.12.13
2017年12月13日

           年末にむけて
 
秋口からの長いヨーロッパ滞在から帰国してすぐの「顔
 
Faces」公演、つづく「イリュミナシオン」の有意義で糧の
 
多い公演が終りました。本年の公演は28日の「BOUNEN」
 
のみになりました。
 
私と佐東利穂子を中心に今年も数多くの舞台公演を行いました。
 
今、ここに述べたいことは、本拠地荻窪のアパラタスをはじめ
 
シアターX、東京芸術劇場、そして世田谷パブリックシアターに
 
足を運んでいただきました皆様へ感謝を申し上げたいと思います。
 
直接劇場で見ていただいた皆様によって公演が、成立したことと
 
その時その場所でしか生まれ得なかったダンスの実現はなにより
 
もうれしくありがたいことでありました。心より感謝の気持ちで
 
いっぱいです。生命のようなダンスが鼓動を始め、苦難を引き受
 
けながら立ち上がる瞬間こそが公演初日でした。
 
我々が立ち向かって行くものは毎回異なる課題であり、その時々
 
の不安や解決が最後には喜びに転じてきました。身動きを止めれ
 
ば難題も解答もなく、それ故の爽快感は決して感じることはなか
 
ったでしょう。遥かなる展望には靄がかかり視界は不充分ですが、
 
すこしずつ晴れ間が広がります。どのようにしてか分からない、
 
もしかしたら風のようなあるいは時間のような見えない力によって
 
覆われた実象は、姿を現わして来たように思われます。
 
しかし現実は決して簡単では有り得ないことも同時に眼前に突きつ
 
けられます。姿を現わしたものが最も困難な課題なのかもしれません。
 
それが気づかれないようにして出現したものの裏には、抵抗し難い
 
偶然か、計られ定義されて準備されたかのような必然か、私には手が
 
施しようもないと思われる出来事が用意されえている。その理解でき
 
ない不可解な節度が、私の身体を圧する時、思考が動き始めることも
 
予感とともに自覚します。
 
予感とともにある自覚する今日、そして明日。明日のことなど分から
 
ない、分かるはずもない。
 
予感とともにある自覚は、今を過去にすることができる。
 
私にこの時、なにかを予感させます。そして過去が私に成っていくの
 
を感じます。私は静かに手を時間に近づける。私には、すくうべき
 
(水のように)ものがあり、救うべき(落下する)ものがあるように
 
思われる。水のような生命と言って良いのでしょうか。
 
私はダンスによってすくわれています。
 
落下しつづける生命が日々新たに浮上する。その言葉が、今、あえて
 
言うならば年末に向かう姿勢の私の胸元に浮かび上がります。
 
この小文を呼んでいただきました皆様に、
 
我々の活動に関心を向けてくださいました皆様に深く感謝します。
 
どうもありがとうございました。
                       勅使川原三郎

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2017.11.20
2017年11月20日

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今日は「顔 Faces 」の3日目です。
昨日の公演は、初日からまた一歩踏み出したダンスと語りでした。
佐東利穂子のソロ公演がもつ独特の空気感は、固有のものです。
昨日の公演を観た作者の私が気づいたのは、この作品自体が発する
闇や湿気、温度変化からくる体質のうつり変わりなどが、
上演中ずっと持続し保たれていることです。
それは驚きに値します。
内生する感情が発声の仕方や言葉の選び方、紡ぎ方、そして
身体全身の細やかな動きの連なりとして目に見えてくる。
抽象的過ぎてすこし陳腐な表現になりますが、彼女は身体空間の
質を変えながら生きている、それをダンスにしていると
私は感じました。そこに美が表われました。流れ漂い変容する
目に見える声として、見えない身体とともに、身体化した時間を
溶かしながら、私は終始佐東利穂子の見えない顔を追いつづけました。
彼女は公演後、「公演中にずっと見つづけていたから目が疲れたの。」
と目を静かに押さえながら話していました。
私たちは彼女が見ていたものを追いつづけていたのかもしれません。
「顔」とは見えない何かを見る為の表面なのかもしれません。
毎回、佐東利穂子は別な時間を生き、ものを見て、言葉を発しつづけ、
身体を生きつづけています。
今日、3日目の公演があります。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.963より]

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2017.11.19
2017年11月19日

新作「顔 Faces」の初日は、今までに経験したことがない領域に
足を踏み入れたという実感が強くあります。
新しいとか新鮮というのではない確かな実感です。
これは準備して作った私自身が公演から受けたことです。
佐東利穂子のパフォーマンスは、確かにこれまでにない
身体表現でした。しかし彼女自身がその場、つまりステージで
経験した数限りない身体的葛藤には、ある境界線を超える
強烈な力が宿っていました。
振付ということは遥か以前にあとにしているわけですが、
彼女が発した声を含めた身体全身とその内側の格闘は
切実なダンスでした。
佐東利穂子が確かな一歩を踏み出した大切な初日公演に接して、
私は感じたことがない喜びを感じています。
2日目の「顔 Faces」にどうぞご来場ください。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.962より]

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2017.11.18
2017年11月18日

今日は、新作「顔 Faces 」公演の初日です。何々のような
と形容できない、前例のない作品になるでしょう。
佐東利穂子という特異な才能が広げる領域は、過ぎ去った夏から
渡欧していた日々に様々な方角に拡張しつづけていました。
この稀有なソロ作品は、過去、現在、未来という時間の過程から
解放し、彼女が生きる時間を無限に積み重ねていく、
あるいは消しつづける。
身体が問いつづけ、身体が問われつづける。
前回は「ペルソナ」という映画に影響を受けて創作に向かっていると
私は書きましたが、すでに作品はそういう意味性を超越した
ところに行ってしまいました。
この稀有なソロ作品は、今現在もパフォーマンス中も
様々なものを吸い込みながら変遷しつづけるのです。
では、アパラタスでお待ちしています。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.961より]

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2017.11.17
2017年11月17日

No.49表裏-01
明日は、アップデートダンスシリーズ#49「顔 Faces」の初日です。
8月以来、久しぶりのアパラタス公演は、いままでにない作品に
なります。出演の佐東利穂子は全身の感覚を研ぎ澄まして新作に
臨みます。イングマール ベルイマン監督の「ペルソナ」という映画を
十代の初めに観て深い興味をかき立てられ、常になにかしらの
影響を長年感じつづけていました。「顔 Faces」がこのように
形の作品になることは、私自身でも意外です。そしてこの作品への
興味は増すばかり、そんな気持ちをもって創作に
ラストスパートをかけています。
ぜひご覧ください。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.960より]

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2017.08.30
2017年8月28日

東京芸術劇場で公演していた「月に吠える」は昨日で終了しました。
ご来場いただきました皆様にこの場で感謝を申し上げます。
公演に協力してくださいました方々にも深くお礼申し上げます。
「ありがとうございました。」
  
今年は正月から海外も含めると
「シェラザード」アパラタス
「バッハ パルティータ」(バイオリン庄司紗矢香さん)ナント
「フレキシブル サイレンス」(武満徹、メシアン)
 シャイヨー劇場(パリ)
「Sleeping Water」世界初演 フランス
「音楽の絵本」アパラタス
「パフューム」アパラタス
「トリスタンとイゾルデ」アパラタス
「硝子の月」アパラタス
「アブソルート ゼロ」世田谷パブリックシアター
「ペトルーシュカ」アパラタス
「静か」アパラタス
「イリュミナシオン」アパラタス
と創作と再公演をおこなってきましたが、
今回の「月の吠える」はひとつの区切りと考えられます。
今年だけでも様々な創作と公演の経験をしました。
それは日々の無数の薄い紙片が折り重なるような、
一重一重の積み重ねで、呼吸が数えきれない回数をするように
私たちの活動には本来区切られるような境はないのですが、
4日後に東京を発ち2ヶ月半のパリを含めたヨーロッパ各地の
滞在直前の今、私はある種の安堵感を体感しています。
  
今、私に周囲にありますのは、薄曇りから垂れ下がっている真夏から
なにかが抜け落ちたかのような暑苦しい湿気の幕と鮮明度の低い
都市の音響と寡黙な月曜日の明け方です。
4日後はパリに移動し、パリオペラ バレエの新作の創作稽古が始まり
初演は10月です。その他の計画についてもまた随時詳しく書きます。
私と仲間たちは、充実した日々に感謝し、そして頭を上げてもっと
先に進んでいく決意を新たにしています。
これからもよろしくお願いします。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.887より]

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2017.08.27
2017年8月27日

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本日は「月に吠える」の4日目の公演です。
すでに行われた3回の公演での成果は、ご来場くださった観客の
方々と共有できる確かな手応えのあるものだったと、
私は公演直後の今実感しています。
詩の内容は、朔太郎自身が「詩は文字では書ききれない」と言う
ように、ダンス作品にとっても決して詩の文体の中に都合よく
納まるものでも留まるものでもありません。
言葉の意味の遥かかなたにさえ飛んでいき、そしてまた私たち
の身体のある、ここに戻ってくるだけの生きる人間に直接投げか
けられる力を受けとることができます。
屈折した人間の葛藤、その終りのない困難さが教えてくれるのは、
自己を信じよ、自己を恐れよ、加えて他者をもっと疑えと、
しかしその先は他者をいかに信じ、自己により大きな興味を持てと
いう精神の領域に向かうことです。
私が迷う時、自分を失っているのか、自分をどこかに置き忘れている。
そして他者がその在処を教えてくれる。私たちは忘却によって結ばれている。
創作し上演を重ねる理由は、作品からはみだしてしまっている内容
から明らかにしたいものを晴天の下と月下に表わすためです。
私は公演をつづけるにあたり以下のように思っています。
身体の中に詩が侵入し、違和感さえ力に変えて、ダンスが出来ること。
それがいかに幸運な出会いであるかを思います。
「私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。」
この朔太郎が記した詩集の序文の言葉は、私たちのダンスへの思いと
一致します。
詩人萩原朔太郎さんに感謝して今日の公演に臨みます。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.887より]

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2017.08.26
2017年8月26日

昨日は東京芸術劇場で現在上演中の「月に吠える」の2日目でした。
萩原朔太郎の詩と勅使川原三郎のダンスが作った独特の詩世界。
まさに月が空に出たように、暗闇の世の地面から昇って現れました。
身体が言葉を受け取り劇場空間の表現に昇華されることは簡単な
仕事ではありませんが、私と仲間たちはギリギリまでの知恵と体力を
駆使して困難に挑みました。
いままでに知っている事と知らない事、つまりダンスによって接近し
ダンスによってつかみ取り、ダンスによって感覚世界にとどまらない、
開かれた世界を目指しました。
内的な力が外側に向かうダンスと詩の力によって私たちはより大きな
喜びを共有できます。それは朔太郎が幾度となく記した懺悔ということと
必ずしもかけ離れてはいないと私は日を増すごとに強く感じています。
ヨーロッパからの2人のダンサーもKARASのメソッドを学んでいて
共有する世界は同じです。そして鰐川枝里は登場場面に重要な流れを
生み出しエネルギーを増産しています。身体的基礎から成長し、
内的な気持ちや感情の揺れを経て、彼らの「謙虚」が向かうものは、
ダンスする喜びです。
この作品でも佐東利穂子はダンサーとしてまたひとつ上の段階に
成長しています。作品の芯をなす背骨を彼女が受け持ち、
私が全体性を統括していると言ってよいでしょう。
佐東利穂子自身が踊っている姿は詩が生れでる瞬間の誕生のようです。
萩原朔太郎という詩人は、私たちに詩を考えさせ、詩を書かせている
と私には思えてならないのです。
なんと面白いことでしょう。
今日は「月の吠える」の3日目です。
公演をすることは、新たな詩に出会うことでもあります。
どうぞご来場ください。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.885より]

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2017.08.17
2017年8月17日

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新作「月に吠える」に向けて充実した稽古を積み重ねています。
詩の解釈を表現するのでも、詩の内容をなぞるのではなく、
詩から受け取れる事は何か、強烈な稽古の中から湧き上がる力は、すでに
詩表現に留まることなくダンスとして独自の領域に入ってきています。
ダンスとは面白いもので、どのようにダンスを否定するかによって
新たに有効なダンスへの接近を可能にするのです。
新たに有効なダンスとは、我々が持ちうる疑問への答えを導き出す為に
有効で魅力的な身体の動きを生み出せるという意味です。
ですから、否定は決して消滅させる為の否定ではなく、生み出す為に
必要な技術と言っても過言ではないものです。
こんな理屈は聞きたくないという方は、是非公演を見に来てください。
私たちダンサーは、徹底して肯定的に身体を駆使し、つまり喜びの
ダンスと共に手に掴みたい物をがっちりと懐に納める為に格闘しています。
「月に吠える」に闘いを挑んでいるとも言える態度こそ
求められるわけです。作品内容は、微妙な変化を基にして日々振動しつづけ
構築されうるべきものを組み立て今は遥か先にしか見えない地点に
向かって進んでいます。それが稽古です。
この作業が面白くなくてなんでしょう。
詩人の顔はすでに擦り減りある種の怪物のような詩集から怪物が、
誕生するかのようにうごめいています。
                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.876より]

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2017.08.13
2017年8月13日

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プレイベント「勅使川原三郎が萩原朔太郎に吠える!」には多数の
ご来場ありがとうございました。
さて創作について報告ですが、毎日フランスとイタリアからのダンサーを
含めた稽古は進んでいます。現在の稽古のテーマは、いかにして作品固有の
動きを導き出すかです。我々は作品ごとに常に原点に返り、そして
基本中の基本からやり直すのです。前作の基本と今日の基本を見定め、
その先への推進力を作り直す。これは毎日の営みでもあります。
詩集「月に吠える」の解釈ではなく、詩の力によって
我々が生きるべき場所を生み出そうとしていると言ってよいでしょう。
詩と詩ならざるものとしての我々の身体が、
あるということさえも要注意なのです。
私はある詩集への愛着のみが作品を作らせると安易に考えることは
できません。新作とは新たな発言です。決意です。
それが疑問形であろうとなかろうと作品とは発言です。
「月に吠える」は私にとって実に危険で幸福な作品であると
予感しています。
 
動画サイトのvimeoでは「月に吠える」プロモーションビデオを
公開します。
出演者は佐東、鰐川、キアラ、パスカル、勅使川原。
創作プロセスの真っ正直な身体思考が表わす映像をアップしました。
ご覧ください。                       勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.872より]

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2017.07.26
2017年7月26日

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ランボー、歴史上希有な詩人へダンス的急接近、間近に、直接触れる、
不可能な行為はダンスによって許され、勝手に許され実行する。
詩の意味解釈ではない身体的接触のダンス公演、60分間の詩体験。
冷却した夜と灼熱の昼を激しく往復運動しながら詩人が詩を棄てる時。
ダンスが染着ついた身体からダンスが抜け落ちた捨て去られた身体。
これまでのダンス作品から離れ、行き着いた砂漠に落ちた文字。
文化から放り出された言語身体、叫ぶ身体、朔太郎なら吠える身体。
4周年記念にふさわしい裏切りの持続、そっぽを向く執着、絶望の愛。
                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.855より]

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2017.07.19
2017年7月18日

イルミナシオン-01
夏から夏への移動、太陽から太陽へ回転する太陽が溶けて作られた地球神話。
 
一昨日、充実のニューヨーク公演から東京 荻窪 に戻りました。
アパラタス開場4周年を祝う記念公演が、明後日から始まります。
「イリュミナシオン」という名のダンス。
 
フランスの詩人アルチュール ランボーの詩集「イリュミナシオン」
を主軸にしたダンス詩。異なった時代、地域、言語を超えて
放たれた詩は、無数の身体を射た後に私の身体を貫通する。
 
ここに生じるアブストラクトなアクションは、「人間一生の
青春期の輝ける怒りと抗議と希望」を振りかざす。
微熱ではない灼熱の太陽のような発熱は身体を震わせ空気を波打たせる。
 
この作品もまた不可能への挑戦だとしても、私は公演せざるを得ないのです。
                       勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.847より]

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2017.07.16
2017年7月16日

昨日は「スリーピング ウォーター」ニューヨーク公演の3日目でした。
我々にとって最高の公演でした。この作品が実現し、今回の公演を機に
また大きく成長していくだろうと私は自覚しています。
今後はヨーロッパでの公演が近い将来実現するでしょう。
その前にいくつもの作品の上演が先になりますが、
「スリーピング ウォーター」への期待が増していくでしょう。
今年に入ってからもアパラタスでの連続公演やシアターX公演、
加えて「魔笛」の再演もあり、半年の間に様々な経験をしてきましたが、
このニューヨーク公演がひとつの節目と言ってよいかもしれません。
明日こちらを発ち、すぐに「イルミナシオン」を
アパラタス4周年記念として上演しますが、この充実した滞在が
力強く私たちの背中を押してくれています。
この作品は以前から考えていたので帰国後すぐの日程の中でも必ず
成果を上げるでしょう。ぜひアパラタスでの「イルミナシオン」に
ご来場くださいますように。
                      勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.846より]

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2017.07.15
2017年7月15日

私たちは、リンカーン センター フェスティバルに参加し
「スリーピング ウォーター」のアメリカ初演の為にニューヨークに
滞在しています。以前、東京芸術劇場で創作した「睡眠」から
発展した作品で、今年フランスで世界初演した後、
パリオペラ座の稽古場やニューヨーク シティ バレエ団の稽古場
を使用する好意を受けながら、この作品は準備され辿り着いた
ニューヨーク公演です。
 
昨日が初日で、素晴らしい公演になりました。
幕開きから終演まで、静寂と大音量の激しくも繊細で清楚ですらある、
場面の連続に出演者と観客は一体となった感があり、作品は
湧き上がるように成立していきました。振付、装置、照明、
そして出演など全ての舞台表現を担当している私自身が
このような言葉を並べることは適切ではないとお考えになる方が
おられるかもしれませんが、これはどうしようもなく
申し上げたいことなのです。
 
これぞ、KARAS!これぞ、勅使川原の世界でありました。
出演者も最高の出来でした。
しかしなによりも誰よりも佐東利穂子のダンスは圧倒的でした。
こんなダンサーは他に決して存在していないほどのレベルにあると
確信と共に叫びたいほどであります。実際に終演後、
拍手と歓声は強烈でした。作品の内容を的確に受け取り、
そしてダンスとして大いに喜びを共有した我々出演者と観客とが
正直に向き合うことで成した成果です。
 
そして今日が2日目で、初日にも増して良い公演で、
初日同様いわゆるスタンディングオーベーションでした。
ニューヨークのダンスの観客は手厳しいことで有名ですが、
私たちには荻窪のアパラタスの観客の皆さんがいて、
日々皆さんに鍛えられている自負があります。
そして当然のことなのですが、「人間はそのひとがもつ実力以上
のことは成しえない」という基本に立っていえば、
逆に今回の成果は当然のことであります。
 
日々の生業こそが全て。だからこそ、
私たちは簡単にアパラタスの仕事はできません。
日々の積み重ね以外にやりようがないほど、
明快に現実そのものを突きつけられ、突きつけるのです。
「スリーピング ウォーター」には「睡眠」にも出演した
オーレリ デュポンさんも出演し、他に「月に吠える」にも出演する
キアラ メツァトリさんと東京バレエ団の岡崎君も出演していました。
もちろんKARASの鰐川枝里と加藤梨花も。
 
ああ、それにしても佐東利穂子は素晴らしい。
彼女はこれから増々成長しより高いレベルのダンサーとして
成長をつづけるでしょう。
いやいままで存在しなかったほどの高みまで彼女は伸びてゆくのが
見えるのです。それほど今後の彼女には期待を感じさせる公演でした。
ヨーロッパに於いて、来年再来年と振付家として
創作の依頼がつづいている彼女は、舞台芸術家として世界中から
求められる人物になるでしょう。
 
明日が3日目の公演です。
世阿弥がいう、「その時、その時の初心を心して」
作品を活き活きと生かす為に最善を尽くします。
今回の作品内容については、後日追って書きたいと思います。
                       勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.844より]

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2017.06.30
2017年6月30日

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「静か」は4回の公演を終えました。明日から後半4回公演が始まります。
初日以来、日々とても意義深い公演を経験しています。
 
私と佐東利穂子は、この作品から多くを学び成長していると思います。
それはダンスのことだけではなく、様々なことと接する機会でもあります。
音がない、「無音」は音が無いのではなく、逆に音への注意深さが増し
聴こえる世界が広がることでもあるのです。
同時に「見る」ことがより鮮明になり、細やかな動き(位置移動も)
が拡大されるようになります。様々な感覚は具体的に実感を重ねます。
重ねるとは、時間と身体が密に触れ合うことの実感です。
皮膚感覚が鋭敏になり、鮮明な知覚が得られるのです。
不思議なことは一切無く、全ては事実として進行する経過を
活き活きと感じられるのです。
 
「静か」は無音を利用して踊るのではなく、踊る、動くことによって
無音を生じさせるのです。微かに静かに湧き上がる無音、或は沈黙。
湧き上がる流れ、晴天に現れる雲や消えていく雲のように
刻々動きつづける新たな時、新たな生命、私たちの身体の中に生まれ
つづける生命の喜び沈黙の喜び、よく見えなかった物が見えてくる
「静か」に活き活きとした力が湧き上がる。
私たちは、沈黙の中にダンスの喜びを感じています。
なぜなら身体と場所と空気が命を有した動きを生み出すからです。
私と佐東利穂子は、それをダンスと呼ぶのがうれしいのです。
「静か」は大いなる喜びです。
無音で踊ることは我々の独自の創作です。
私たちは決して手放さないと強い思いでダンスに向かいます。
 勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.831より]

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2017.06.28
2017年6月28日

1071-1
メルマガ用580×330
メルマガ用580×330
 
「静か」の3日目の公演です。
過去アパラタスで創作初演した「静か」はシアターXで再演し、
再びアパラタスで公演しています。
 
私と佐東利穂子は、この作品から多くを学び成長していると思います。
それはダンスのことだけではなく、様々なことと接する機会でもあります。
音がない、「無音」は音が無いのではなく、逆に音への注意深さが増し
聴こえる世界が広がることでもあるのです。
同時に「見る」ことがより鮮明になり、より細やかな動き(位置移動も)が
拡大されるようになります。様々な感覚はより具体的に実感を重ねます。
重ねるとは、時間と身体が密に触れ合うことの実感です。
皮膚感覚が鋭敏になり、より鮮明な知覚が得られるのです。
不思議なことは一切無く、全ては事実として進行する経過を
活き活きと感じられるのです。
 
「静か」は無音を利用して踊るのではなく、踊る、動くことによって
無音を生じさせるのです。微かに静かに湧き上がる無音、或は沈黙。
数えることができない湧き上がる流れ、晴天に現れる雲、消えていく雲、
刻々動き、形を変える消え行く物、
物であり命と深く関わりを有する動き、姿、現れる姿、消え行く姿。 勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.828より]

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2017.06.20
2017年6月20日

1048
1049
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1051
 
今日は「ペトルーシュカ」の5日目です。
初日から4回の公演を経て、作品は明確な形を表してきました。
もちろん「動く形」です。音楽と照明、そしてダンスとの
全体構成は変わっていません。
しかし日々踊りこむことによって作品に力が加わり、
それがダンスの面白さですが、決められた振付の繰り返しではなく、
作品に日々の新たな命が息づくのです。
生き物としての作品には、単なる準備した足し算のような計算では
到達できない水準に昇っていく力が沸き起こります。
もちろん日々の稽古や公演によって蓄積されたものが
基盤になければなりません。
まるで天候など自然界の現象のような動きつづける恒久性が、
限られた小さな劇場空間、限られた上演時間、限られた2人の身体、
それらが深く的確に働き合う時、特別な力を獲得して作品という
元々は形がはっきりしていなかった物に、青空に不定形の湧き上がる
雲のようにくっきりした動く形を与えるのです。
今日、新たな日に作品は、呼吸する今日の「ペトルーシュカ」として
表れます。出演者こそ作品という命を支えなければならないと
自覚して臨みます。
 勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.820より]

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2017.06.18
2017年6月18日

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今日は「ペトルーシュカ」の4日目です。
旧来の古典的「ペトルーシュカ」の内容を変えて苦悩や絶望が
身体化して皮膚から肉から切り離せられない人間そのものを
人形の姿にして表わすことにしました。
暗くアイロニカルな展開ですが、希求する美がどこにあるのかにも
焦点を当てようと私は考えました。
 
「美」を感じられるのは、「絶望の眼球」に映し出される現象や物質、
そして生き動く物が、私たちに向かって不可解な動作
(時にあまりに当たり前の)によって通常の理解を超えた「美しい」
を投げつけるからではないでしょうか。
 
私は「絶望」こそ人間に力を与えてくれるものではないかと思うのです。
望むべき喜びの根源にあり、「失望」から湧き上がる
アイロニーという知性は芸術を求める。
そこに不快感から解放される身体があります。
再構成された音楽は、より不安定な平衡感覚を増長させ、
未だ見ぬ物を視界に捕らえさせてくれる手助けをする。
ストラヴィンスキーの音楽こそ「ペトルーシュカ」です。
この作品には、密やかだが力強い見えない糸が張りめぐらされていると、
私はあらためて考えています。
 勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.817より]

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2017.06.17
2017年6月17日

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ペトルーシュカ」の2日目でした。
初日から少し、いや大胆に踊り方を変えたところがありました。
照明も含めて初日と全体構成は変えないのですが、
動きの質に変化を与えました。
旧来の古典的「ペトルーシュカ」とは異なった内容になっていると
言えますが、苦悩や絶望がどうしようもなく身体化して皮膚から肉から
切り離せられない人間そのものを人形の姿にして表わすことのアイロニーに
焦点を当てようと私は思いました。
これは私にとって実に興味深いテーマです。
そして美というものを感じられるのは、「絶望の眼球」に映し出される
現象や物質、そして生き動く物が、私たちに向かって極限なる
不可解な動作(時にあまりに当たり前の)によって通常の理解を超えた
「美しい」を投げつけるからではないでしょうか。
私は「絶望」を不快ではあるが醜いものではないと考えます。
ここにアイロニーが有する不快感が解放する身体がある。
再構成された音楽は、より不安定な平衡感覚を増長させ、未だ見ぬ物を
視界に捕らえさせてくれる手助けをする。
ストラヴィンスキーの音楽こそ「ペトルーシュカ」です。
私が生きる細い一本の綱の上では、その音楽が良く聴こえてきます。
例えていうなら、私にとって「ペトルーシュカ」は、一本の綱の上で
あらゆる高度方角に動き踊ることであります。公演後の話の時、
私はうれしくて思わず笑いがこみ上げてくるのを感じました。
今日は3日目の「ペトルーシュカ」です。どうぞご来場ください。勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.816より]

                          

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2017.06.13
2017年6月13日

No.46「ペトリューシュカ」_テキスト入りアウトラインあり-01
「ペトルーシュカ」はストラヴィンスキー作曲の高名なバレエ音楽です。
20世紀初頭にロシアバレエ団はフォーキン振付、ニジンスキーが踊る
「ペトルーシュカ」、カルサヴィーナが踊る「踊り子」で初演しました。
村祭り、人形劇の人形たちが命を得て踊り始める。
ペトルーシュカは踊り子に求愛するが謎の死を遂げる。
この単純な童話をストラヴィンスキーは素晴らしい音楽によって
ファンタジックに表わしストーリーは幻想的に展開します。
人形ペトルーシュカは殺されると夜空に不吉な呪いがかけられて民衆は
恐れおののきます。
私は童話とはかけ離れたより奇妙で不可解な作品にしようとしています。
                           勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.813より]

                          

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2017.06.05
2017年6月5日

昨日 世田谷パブリックシアターで行われた「アブソルートゼロ」公演の
4日目最終日でした。

お知らせしましたようにほぼ20年ぶりの再演でしたが、
再演というより新作と言ってよいほど新鮮に改善され成長した作品に
なったと私は考えています。厳密な計算によって準備した事と実際に
踊って初めて分かる事の両方の力によって、作品はより深く大きな
呼吸をするように活き活きと毎日の公演は生まれかわりました。
一つ一つの場面を丁寧にスタッフと協議して、
リハーサルを重ねることによって実現しました。
常にそうであるのですが、私側のスタッフと劇場スタッフが各分野、
照明、音響、舞台美術、舞台設営、舞台監督、公演制作スタッフ、
広報スタッフ、みなさん無しでは今回のアブソルートゼロ」の再生は
不可能でした。ありがとうございました。
そして、劇場には多くの観客の方々がご来場いただきました。
ありがとうございました。
それぞれ立場の異なるみなさんの作品に向けられた力が、私と佐東利穂子
を後押ししてくださり、私たちは日々生まれかわるように
作品を踊りました。
それは作品の中に新たに生きることでした。
ひとつの公演をやり遂げ終了することが次の公演に生きることを可能に
させてくれるのを強く実感する日々でありました。
そして今私が感じることは一つ一つの公演の大切さです。
大きな拍手や歓声を得た作品に生きる為には一瞬たりとも気が抜けません。
一瞬も気の抜けない仕事、全身の集中を高める
仕事ができる私は幸せ者です。
 
私たちは、明日パリに行きます。
パリオペラ座バレエ団への振付作品の準備の為です。
秋に世界初演する新作の出演者選定ワークショップ、装置美術、
衣装などの打ち合わせをする3日間の短期滞在ですが
充実した準備をしてきます。
帰国後は「ペトルーシュカ」の初演に飛び込むというわけです。
 
もう一度、みなさんどうもありがとうございました。                           勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.805より]

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2017.06.02
2017年6月2日

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昨日、世田谷パブリックシアターにて、「アブソルートゼロ」公演の初日。
劇場は20年前にオープンした今は
その価値と地位を確立した公共劇場です。
私たちはその開館を飾る名誉をあずかり「Q」という作品を初演しました。
 
その翌年に「アブソルートゼロ」は初演され、そして再演し、
その後ヨーロッパと日本国内の数多くの都市で公演してまいりました。
ほぼ20年ぶりの劇場への帰還になる「アブソルートゼロ」の初日は、
再演と呼んでいますが、初演と言える新鮮な出来栄えでありました。
しかし、そのような初日を終えた今、私は心引き締まる思いであります。
荻窪のアパラタスのシリーズの名のようにアップデートし、
より良い作品になるべく稽古をしていきます。
それだけ成長できると考えるとなんとも楽しい気分になります。
この自然の感情は作品を支えるものであります。
のびのびと気持ちをこめて、
心身ともに律して作品の為に生き直す心意気で今日の公演に向かいます。
あらためて、世田谷パブリックシアター20周年おめでとうございます。
                           勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.802より]

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2017.05.17
「アブソルートゼロ 絶対零度」と共に 

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1998年の世田谷パブリックシアターでの初演以来、数多くの国、
都市を巡り、約20年ぶりの世田谷での再演です。
創作した作品は作られた時に持った力や価値が、公演を重ねることに
よって様々な経験を経て成長し成熟していくものです。人間のように。
初演当時、ダンスキャリアが始まったばかりの佐東利穂子は今や世界
最高レベルのダンサーとして成長していますが、彼女が作品をより高
度に推し進めることは間違いありません。彼女の特異な身体制御が生
み出す美しく際どいダンスは今までに無かった価値を与えるはずです。
「アブソルートゼロ」が新たな生を得て活き活きと世田ヶ谷に帰って
きます。しかし再演というより新作公演の心意気で今準備しています。
初演の清々しい呼吸を基に、矛盾を恐れずに私たちは調和を踊ります。
 
                         勅使川原三郎

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2017.05.08
2017年5月8日

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昨日はアップデートダンス#46「硝子の月」の3日目の公演でした。
連休中にも関わらずご来場いただいた多くの方々に感謝します。
初日から的確に改善し、作品は少しずつではありますが成長していると、
私たちは感じています。
まるで破れたガラスの破片の縁のような際どい価値観、
そのエッジのギリギリで生きる物=私たちは自らに突きつけた時間の先端で
終りのないダンスをしているようです。
そしてまたこの作品にはなぜか予感めいたものが含まれていて、
古(いにしえ)からどこをどのように辿り着いたのか、今日、たった今、
現実の不可解を呼吸しながら空気と物と時間の合間に
私たちはダンスを創作しています。
4日目の「硝子の月」が楽しみです。 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.778より]

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2017.05.06
2017年5月6日

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昨日はアップデートダンス#46「硝子の月」の初日でした。
今日、新たな方向を予感する作品「硝子の月」は
アップデートします。以下は今日の公演に向かうテキストです。
私は未だ存在しなったものに触れる
それは向こうからやって来る
在ると無いの間に私がいて
無いものが私に触れる
それでもそれは無いもの
硝子の反射
光の反射としての闇
闇は光を反射する
光のない命はありえない
二つは常にひとつ
光と闇を同時に見る
光と闇を同時に踊る
それが命の在り方
光と闇は無限に変容をつづける
無限の変容は無限回繰り返される
月は何も変わらない
光の反射が私を変えているのだ 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.776より]

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2017.04.27
2017年4月27日

No.43音楽の絵本_A4チラシ入稿用_アウトラインなし
今日は「トリスタンとイゾルデ」シアターX公演の2日目です。
昨日の初日、荻窪(アパラタス)での初演から
両国でアップデートしました。
私たちが創作を再演する理由は、作品を愛していることの実証であり、
我々自らが最善の批判家であるべきであるという
自覚を持つ決意の表れでもあります。
再演の喜びそのものは観客の皆さんとの共作であります。
劇場の方々、スタッフ、照明スタッフ、音響スタッフの皆さんの
力添え無くして有り得ず、困難に向けて泰然として
前のめりでいて崩れない姿勢こそ、みんなの心意気。
一日一日少しずつ歩を進めることの楽しさ、ありがたさ、
笑顔でまた今日そして明日。 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.769より]

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2017.04.15
2017年4月15日

メルマガ用580×330
メルマガ用580×330
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本日は「パフューム」の8回目最終公演です。
この作品は以前にも紹介しましたように、
2014年初演以来の再再演で、
改訂を重ねて今回の内容になりました。
 
私は初演時のエッセンスを保ちながら、大胆に
そして細かい様々な展開にも工夫を施しました。
 
香るもの、呼吸するもの、付着するもの、、、
匂い香るとはどういうことでしょうか。
匂いの変容とも言えるでしょう。空気に肌に
体内に触れた瞬間からある匂いはひとつでは
なく、境界のない匂いの世界が広がりゆく。
ダンスが匂いのみに執着した作品を生んだこと
は過去なかったのではないでしょうか。
 
作品が可能になったのは、佐東利穂子の身体と
その身体が有する臭覚と身体から空気への浸透
力があればこそです。
つまり匂いが彼女になり彼女が匂いとして空気
に変身したといえます。
そう断言しますのは、今回の公演の初日から私
が目にして体験したものは演出を超える実態で
あったからです。
 
作品を構想し照明や音楽をデザインした演出家
にとって大きな喜びです。
彼女の才能がこの作品によって大きく成長した
ことは間違いありません。
これほどまでテーマを高度に表出した能力に私
は驚きました。
 
純度という価値が身体表現に適するなら、
私は佐東利穂子に最大限の賞賛を与えます。
彼女は、他に類を見ないほど、現在そして将来
にも重要なダンサーであると私は考えます。
 
精神と身体がこれほどまでに研ぎすまされ、
純度を感じさせる力は、鍛錬と研究によるもの
で、佐東利穂子はそれを率直に実行しました。
 
希有な才能は成長をつづけ純度を高めていく。
 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.767より]

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2017.04.09
2017年4月9日

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今日はアップデートダンスno.44佐東利穂子のソロ
「パフューム」の3日目。
3年前の初演から時を経て再再演の初日、静かな輝きを放ちながら復
活しました。そして昨日の2日目は正にアップデートでした。
緩やかでありながら鮮烈に佐東利穂子の身体が、
ダンス - メタモルフォース - 変容しました。
「香水」というタイトルが表わすように香しき蒸気を湧き立たせる彼
女は、変身をつづけ、時に黒々と毒々しく発し、濃く色づいた果実の
香りを散布し蒸発させ彼女の外側をめくりは返し内側の裸体を露わにした。
「パフューム」は、シーンの数々、佐東利穂子の希有な揮発性の身体は、
内密に巡る溶液によって変容し踊りつづけます。
色彩豊かに匂い香る希有な美しいダンスが、
2017年春に荻窪で花咲いています。 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.760より]

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2017.04.08
2017年4月8日

メルマガ用580×330
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   下写真:「パフューム」 / 2014年シアターX公演よりphoto by Kotaro Nemoto (STAFF TES)

 
昨日、アップデートダンスno.44「パフューム」の初日でした。
2014年にアパラタスで初演し、同年にシアターXで再演した
佐東利穂子のソロ作品です。
香水というタイトルが表わすように香しき蒸気を湧き立たせました。
春、外では桜をはじめ様々な花が群れをなして咲くこの季節、
荻窪のアパラタス地下2階ホールでは、色彩豊かに匂い香る
佐東利穂子が変身をつづけ、彼女の身体から時に黒々と毒々しく発し、
濃く色づいた果実の香りを散布し蒸発させ彼女を裸体にした。
これは様々な質感を特殊な溶液で時間と調合したダンス作品です。
この「パフューム」は、佐東利穂子を希有な揮発性の身体に
変容させました。彼女は内密にか細く巡る溶液によって動かされ、
自然界の無限の繰り返しを超低速度で身にまとっているかのようです。
予兆さえも記憶として逆流させる時間のメソッド、
重力を解放する呼吸、距離から一切の単位を奪い取った測量器、
上昇と下降が同時作動する踵、揮発性の身体が脈略もなく展開する
シーンの数々、佐東利穂子はいままでになかったダンスを踊りつづけます。
希有な美しいダンスが、2017年春に荻窪で花咲いています。 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.759より]

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2017.01.28
2017年1月27日

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      写真:2014年「LINES」より 庄司紗矢香氏との共演 photo by Akiko Miyake

荻窪のアパラタスの「シェラザード」の8回公演を終えて、
すぐに成田を発ち、私と佐東利穂子は今パリです。
一昨日は2017〜18のパリオペラ座のプレスコンファレンス
(記者会見)がありオペラとバレエの創作やレパートリー作品の上演の
年間スケジュールを紹介する大きく重要な会見に同席しました。
来年からバレエ団の芸術監督に就任するオーレリ デュポン女史より
紹介されて私も壇上に上がりました。
私は創作を委託された10月に世界初演の創作について、
その趣旨や技術的なことを語りました。
パリオペラ座は重要な変革期にあると感じた会見でもありました。
私ができることを最大限発揮してオペラ座全体との協力体制を完全にして
臨みたいと思います。というのは私は振付の他、装置、照明、衣装、
ヘアメイクの全てを担当するものですから総勢何人になるでしょうか、
とても多くのスタッフと仕事をすることになります。
もちろんダンサーの選びから始まり、基礎段階のワークショップから
即興、そして構成振付という発展プロセスを進みます。
すでに昨日は一回目のワークショップを行い、今日は少し発展させて
ダンサーを一人ずつ見ようと思います。
これから様々な角度から創作のプロセスは積み上げられます。
ワークショップの前には、素晴らしいバイオリニストの庄司紗矢香さん
にお会いして、数日後にナントで共演する時の為の
ミーティングをしました。というか堅苦しいものではなくて
久しぶりに会ったのでお互いの近況や芸術について話しました。
ナントでは、バッハのパルティータの2番5曲を彼女が演奏して、
佐東利穂子と私が踊ります。
同時にシベリウスの協奏曲を演奏するというのですから驚きました。
芸術的にはもちろんですが、なんと言えばよいのでしょうか、
超人的な芸術家なのです。尊敬します。
いつか佐東利穂子と庄司さんの1対1の共演をみたいものです。
うむ、最高だろうな。
今からうきうきしてきて、いても立ってもいられず、
オペラ座(ガルニエ)でのワークショップの後、
私たちも少し時間をあけてもらい自分たちの為に練習しました。
今後、3月初旬まで予定がつまっていますので、
その都度様々な報告ができると思います。 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.704より]

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2017.01.10
2017年1月10日

888
890
889
年明けはやはりダンスで始まりました。今年もよろしくお願いします。
アップデートダンス #42「シェラサード」は、すでに全8回のうち
4回を終えました。今日はオフで、明日から後半の4回が始まります。
 
リムスキー コルサコフ作曲の音楽に徹底的に向き合い、
音楽と一体となり、音楽を吐き出すくらいの勢いで踊り、
音楽と共に昇華してしまうまで徹頭徹尾、音楽と身体、
音楽とダンスとが生み出す濃密な流れを追求しています。
印象になりさがる音楽には決してならず、バレエ音楽風な物語から
解放されなければならないダンスと音楽の関係を「厳密と自由」の
生命の有り方の探求であり、これこそ私が欲する芸術の
ひとつの有り方であると実感しています。現在進行形の生命こそ
ダンスの本位であると考えますが、音楽への尊敬は、そのまま
ダンスへの教訓でもあります。音楽に己の全てを託すところから
始まるこの仕事は、常なる実際の静けさや音の発生と同時に湧き上がる
沈黙と共に生き生きとダンスになります。
私と佐東利穂子は隙間を譲らず絡み合い、新たな時を紡ぎ、
新たな不可解を解放すべく「固定された場所」を「流動する空間」に
変質させ踊りつづけています。
 
年の初めにこの作品を公演する喜びを全身で感じています。
とてつもなく大きな抱えきれない明るさです。
これからもどうぞよろしくお願いします。 
                     勅使川原三郎 
                      [メールマガジンNo.690より]